2018年10月14日日曜日

風呂場で互いに腸洗浄〔回顧〕

 互いに興奮して発作的にお姉さんのお尻の穴におちんちんを挿入してしまった。 互いにアナルセックスをしようとした訳でもなく、性的興奮がいつものセックスとは違う感覚を知ってしまう結果となった。 もともと部屋を汚すのが心配で腸洗浄を風呂場で行おうとしていたが、二人とも興奮してしまい、私は生まれて初めてお尻の穴におちんちんを挿入してしまった。。

 水道からの微温湯でも問題ないと相談し、持ち込んだイルリガードルに人肌程度の微温湯を満たした。 浴槽の蓋をしっかり固定し、私はその上に仰向けに寝、洗い場にお尻を突き出す姿勢をとった。 お姉さんは再びお尻にワセリンを塗り、イルリガードルの挿入器具をお尻の穴に入れ、先ほどと同じ様に微温湯が注入された。 今度は少々お漏らししても大丈夫だ。

 お姉さんも久し振りにしたいというので、私と同じ様に浴槽の蓋に仰向けに寝てお尻を突き出して貰った。 自分がされたのと同じ様にしてあげた。

2018年10月13日土曜日

風呂場で一緒に・・・・〔回顧〕

 全裸の私はお風呂で一緒に腸洗浄をしようと云うお姉さんの言葉に気持ちが湧きたった。 お姉さんにガラス浣腸器での浣腸は何度もしてあげたが、腸洗浄をしてあげるのは初めてだったので、ドキドキする感覚を覚えた。 ちょっと気持ちが高ぶった私は、お姉さんに抱き着き抱きしめた。 そして口づけをし、お姉さんの着衣を脱がすと、二人は素っ裸になっていた。 ガラス浣腸器でグリセリン液を吸い上げると座布団の上で仰向けに寝たお姉さんの両足を持ち上げ、お尻の穴にガラス浣腸器を差し入れた。

 お姉さんに浣腸をしながら、陰部を見ると愛液が溢れ濡れているのが判った。 注入が終わり浣腸器を抜き、そのままお姉さんのクリトリスを刺激した。 お姉さんの卑猥な声に刺激され、クリトリスを触りながら勃起したおちんちんをそのまま挿入してしまった。 お姉さんも突然のおちんちんの挿入に興奮していたが便意に勝てず、私から身体を外しトイレへ駆け込み、扉を閉める間もなくブ~ッ!ビ、ビ~ッ!と音を立てて排泄した。

 扉を閉めずに排泄していたことが恥ずかしかった様で、女性としての恥じらいを持って裸でトイレから出て来たお姉さんを抱きしめ、長い口づけをした。 お姉さんを後ろ向かせ背中から抱き締めるとおちんちんをバックから挿入した。 テーブルに手をついた状態のお姉さんの膣を後ろから激しく突くと歓喜の声を上げ悶えた。 おちんちんを出し入れして射精しそうになったので、おちんちんを抜き、先ほど浣腸した座布団にお姉さんを寝かせ両脚を持ち上げ再びおちんちんを挿入した。

 激しい出し入れにお姉さんは善がり声を出し、「もうだめ~っ!早く逝って・・・」と云う声と共に私も「う~っ!」と声を出し射精してしまった。 暫くの間、声も出さず互いに抱き合った。 身体を離すとお姉さんの股間から白いものが流れ出た。 お姉さんを抱き起し、イルリガードルの器具と一緒にお風呂に向かった。 お風呂で二人一緒にシャワーを浴び互いの身体を石鹸をつけて洗った。 お姉さんが私のおちんちんに石鹸をつけ丁寧に刺激すると再び勃起してしまった。 お姉さんが石鹸が付いた手で私のお尻の穴に指を入れた。

 お姉さんは興奮したのか、私の手に石鹸を塗り付け、自分は浴槽の縁に手をつきお尻を差し出した。 私は石鹸のついた指をお姉さんのお尻の穴に差し入れ暫く刺激をすると、お姉さんは善がり声を激しく発していた。 これまでお姉さんのお尻の穴に指を入れたことは何度とあるが、まだおちんちんを挿入したことはなかった。 その時は二人とも異常に興奮していたと思うが、私は勃起したおちんちんをお姉さんのお尻の穴に押し付けていた。 お姉さんもそれを拒む様子もなく、手を後ろに回し、私のおちんちんを自分のお尻の穴に誘った。 腰を前に突き出すと、お姉さんはお尻の穴に私のおちんちんを受け入れた。 おちんちんが強く締め付けられ、膣に挿入した時は全く違う凄い快感があった。

 お姉さんもアナルセックスの経験はないらしく、ぎこちなく私の挿入を受け入れ、余りおちんちんの出し入れをしないまま、お姉さんの背中に抱き着き、乳房を掴んだままおちんちんは脈打った。 お姉さんも味わったことがない感覚だったのか、異常に興奮し、身体を震わせていた。

腸洗浄の快感〔回顧〕

  「お湯が冷めたから、そろそろしようか。。。着てるもの脱いで。」
と私が寝る台と洗面器を用意しながら、お姉さんに促された。
「全部脱ぐの?」
  「汚れたら困るから、裸になって。。。ウンチが溜まってるだろうから先に浣腸するね。」と、ガラス浣腸器にグリセリン液を吸い上げていた。
裸になって敷かれた座布団に横になると両膝を抱える様に言われ、そうした。
いつもの様にガラス浣腸器の嘴管がお尻の穴に挿入され、グリセリン液が注入された。 暫くすると強い便意が起こりトイレに座ると勢いよくウンチが放出された。

 浣腸での排便が終わって部屋に戻ると、用意された台に寝る様に言われた。 台の上に仰向けに寝ると両膝を抱える様にされ丁度台からお尻を突き出す姿勢となった。
  「そのままで居てね。」
と言いながら、お尻にワセリンが塗られ、イルリガードルに繋がったゴム管の先端の挿入器具がお尻の穴に挿入された。 いつものガラス浣腸器とは違う感覚だった。
  「入れるわね。」
と言いながら、ゴム管の線を開くとゆっくりと微温湯が流れ込んできた。
  「漏れそうな感じがしたら言ってね。」
微温湯が注入されるに従ってお腹が張った様な感じになるが、便意は起こらない。 しかし、お姉さんが、「あ、あ~っ!」と声をだした。 どうやら私のお尻の穴から微温湯が漏れだした様だった。 「そのまま出していいわよ。」と言われるまでもなく、カテーテルが抜かれたことでお尻の穴に力を入れる間もなく微温湯がほとばしった。

 お姉さんがちゃんと受け止めてくれたのか、洗面器に音を立てて排泄してしまった。 浣腸した後だったので、大きなウンチは殆どなく、ただ茶色の下痢の様な排泄だった。
  「たかおちゃんは慣れてないから我慢できないみたいね。」
「・・・・・」
  「お部屋でして汚したら始末が大変だからお風呂場でしようか・・・」
「うん」
  「まだ、残っていると思うからトイレで全部だして。。。」
と言われてトイレに座ると残っていた微温湯が結構な量出た。 一通り排泄し、お腹が空っぽになった感じだったが、
  「お風呂で一緒にしようか。。。」
お姉さんが言い出した。 「私も一緒にしたくなっちゃったわ。私も浣腸するわ。」

お姉さんにされた腸洗浄〔回顧〕

 子供の頃の鼠径ヘルニア発症時に受けた腸洗浄以外に、薬局のお姉さんからも腸洗浄をされたことがある。 体質的に便秘症なら、グリセリン浣腸だけでなく、時々腸洗浄をするのも良いと言われ、実際にイルリガードルによる腸洗浄をして貰った。

 出張で、お姉さん宅(薬局)に滞在していた休日に、昼食を摂りながら突然お姉さんが、
  「いつも浣腸してるけど、体質的な便秘症だから時には腸洗浄した方がいいよ。」
と言い出した。
「腸洗浄って、タンクの様な所から一杯お薬入れるの?」
  「あら、知ってるの?」
「うん、脱腸になった時にされたことがあるよ。」
  「あぁ、そうなのね。 どうだった?」
「余り覚えてないけど、お腹の中のものが洗い流された様に全部出ちゃった感じだった。」
  「そうそう、以前は私も自分でしたことがあるんだけど、貴方の様な便秘症なら腸洗浄もいいと思うよ。今日は一日落ち着いてるからしてあげようか?」
「うん。」
ということで、昼食後落ち着いてからして貰うことになった。

 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

 食後、テレビを観ながら、脱腸発症時の腸洗浄のことを話した。 お姉さんが一番興味を持ったのは、内診台での浣腸や腸洗浄のことだった。 お姉さんは看護婦時代内科の担当だったので、浣腸を施した経験はあるが内診台での治療は経験がなかったらしい。 お姉さん自身内診台での診察を受けた経験はあるらしく、内診台で男性医師に診察される恥ずかしさを知っていた。 その内診台で浣腸や腸洗浄をされたことに興味を持っていた。
  「内診台の上で浣腸されたの?」
「そうだよ。まだ子供だったから言われるままだったから。」
  「またその時の様にされてみたいの?」
「そうかも知れないなぁ・・・お姉さんは腸洗浄されたことあるの?」
  「されたことはないけど、以前は時々自分でしてたよ。」
「自分でって、どんな風にしてするの?」
お姉さんは立ち上がって奥に入ると、風呂敷で包んだものを持って出て来た。
  「イルリガードルって、これだよ。」と風呂敷包みを広げた。
中から大きなガラスの容器の様なものが出て来た。
  「古いものだから。。。」と言いながら使い方を説明してくれた。

 大きなガラスの容器には2リットルの浣腸液を入れることができるらしく、容器を吊るすための金具がついていた。 容器を吊り下げると下に細い出口がありそこにゴム管をつなぐ様になっていた。 ゴム管の先にお尻の穴に挿入する為の管があり、ゴム管の途中に開閉栓がついていた。
  「後でこれで浣腸してあげるね。」
と言いながら流しで暫く使っていなかった器具を洗浄し、お湯を沸かしていた。

 戻って来ると、「沸かしたお湯が冷めたらしてあげるね。」と再びコーヒーを注ぎ足しテレビを観ながら、腸洗浄の話しをしていたが、
「どこでするの?」と我慢できず漏らしてしまうことが気になって聞いてみた。
  「私は自分でする時は、漏れそうになったら止めてトイレ行ったけど、たかおちゃんは漏らしちゃうかも知れないね。」
「・・・・・」
  「大き目の洗面器があるからそれで受けてあげるわ。」

子供の頃の腸洗浄経験〔回顧〕

 印象的な腸洗浄の記憶は2つある。 生まれて初めて腸洗浄を経験したのは脱腸を発症した子供の頃だった。 母親に連れられ医者を訪れた時、まだよく判っていなかったが脱腸(鼠径ヘルニア)の診断を受けた時だった。

 医者の診察台に寝かされ、下半身の着衣脱がされた。 おちんちんの右側の突出を丁寧に診断していた医者は、母親に鼠径ヘルニアだと告げた。

 前日の夜、私は排便のための浣腸をされようとした時、母親が下腹部の異常を発見した。 その夜はそのまま就寝し、母親も状況が判断できないまま翌朝になって私を医者に連れて来たのだ。 そのため、脱腸状態の私のお腹には十分便が溜まっていた。 医者もその状態が判ったのだろう看護婦さんに浣腸の指示をしていた。

 看護婦さんに促されて、下半身裸のまま別の診察台に上がらされた。 その診察台は、今は判るが婦人科や肛門科での両足をあげて股間を開く診察台だった。 どうしてよいのか判らず指示されるままその診察台に寝ると両足が広げられ固定された。 子供とは言え下半身裸で両足を開いているのは恥ずかしい姿だった。

 暫くすると看護婦さんが、「浣腸は大丈夫ですか?」と母親に聞いているのが聞こえた。 母親は私に構うことなく、「時々家で浣腸してますから。」と答えていた。 お尻の穴にワセリンが塗られたのか冷たいものを感じ、ガラス浣腸器の嘴管挿入されるのを感じた。 家での浣腸よりかなり多い量が注入されたと思う。 直ぐに便意が起こり両足を開いて固定されていることもあって我慢できず、「出ちゃう!」というと看護婦さんが、「そのまましていいわよ。」と言ってくれた。 返事をする間もなくお尻の穴が開き、多量のウンチを排泄した様に記憶している。

 浣腸の後はお尻の穴や下腹部を色々診察され、最後に診察台の際にタンクの様なものが吊るされたポールが運ばれてきた。 看護婦さんが、「お尻から一杯お薬入れるからね。」と言いながらワセリンが塗られたお尻の穴にガラス浣腸器とは違う器具が挿入された。 やがて多量の薬液が注入され始め、お腹に凄い圧力を感じたのを覚えている。

 注入が進むと耐えきれずお尻の穴から薬液が漏れ始めたのを見計らって器具が抜かれ、多量の液体を排泄したのを覚えている。 これが初めての腸洗浄だった。

2018年10月10日水曜日

久し振りの腸洗浄

 最近、風邪をひくなど体調が乱れている感じがする。 便通も、便秘と言うことでもないが、毎日順調な排便と言う訳でもない。 浣腸したあくる日は、ちょっと軟便だったり、なかったりと言うことで不調が続いていた。

 思い切って腸内洗浄をすることにした。 暫く浣腸は使っていたが、微温湯浣腸はご無沙汰だった。 簡易イルリガードルを用意し、使っていなかったので綺麗に洗浄した。 イルリガードルに約2リットルの微温湯を満たし、ローションと共に準備した。 床にバスタオルを敷き、お尻の穴とカテーテルの先端にローションを塗ると横になり、ゆっくりとお尻の穴にカテーテルを挿入した。

 イルリガードルの栓を捻ると徐々に微温湯が直腸に流れ込むのを感じた。 グリセリン浣腸とは違う注入感覚に少し興奮した。 タンクの微温湯が徐々に少なくなるのが判る。 同時に便意と言うより、お腹の膨満感を感じ、お尻から漏れそうな感じになった。 1リットル程度微温湯が減少していた。 久し振りなので、無理せずカテーテルを抜き、ティッシュでお尻の穴を押さえながらトイレの便座に座った。

 お尻の穴を押さえていた手を放すと、便意と云うより、蛇口から水が出る様に勢いよく便の混じった微温湯が排泄された。 お腹の中にあったものが全部出てしまった様な感覚になった。 一通り排泄が終わったので、トイレを離れイルリガードルに微温湯を足し、再びカテーテルの先端をお尻の穴に挿入し、1.3リットルほどをゆっくりと注入した。

 今度は落ち着いてカテーテルを抜くとお尻の穴を絞め付けたまま便座に座った。 力を抜くと再び勢いよく便が混じった液体を大量に排泄した。 全部出たのかと思っているとお腹がグルグルとなり、再び排泄が始まった。 今度は水の様な排泄ではなく、かなり濃い色をした下痢状の排泄だった。 大量浣腸で2回の波があることを思い出した。

 それが終わると、本当にお腹の中が空っぽになった様に思えた。 スッキリし、身体全体が軽くなった様に感じる。 後始末をしながら、腸洗浄の気持ち良さを思い出し、また頻繁にしてしまいそうだ。 腸洗浄をすると何となく便通の状態がリセットされる様に思う。

2018年9月17日月曜日

熟年の疲労性便秘

 最近、仕事のストレスが増え、台風被害など対処しなければならないことも気懸りである。 年齢を重ねると誰しもそうなのかも知れないが、便秘とも言えないが積極的な便意を感じない状態になることがある。 そんな時は、お腹が張ったり、余り食欲がなかったりと鬱陶しい感じだ。

 ここ一週間、そんな状態が続き敬老の日を含む連休に入ってしまった。 風邪気味もあり、片づけてしまわないといけない仕事も溜まっていた。 気が付けばお腹の中にも排泄すべきものがたまっている。 溜まらない(貯まらない)のはお金だけだろうか。 ズボンとパンツを脱ぐと、腰から股間に脱腸帯だけになった。 脱腸帯を外すと、股間の右側が僅かに膨らむ。 そのままでいると脱腸症状となる。

 仰向けにベッドに寝ると両脚の間からイチジク浣腸をお尻の穴に差し込んだ。 何を興奮しているのか判らないが、おちんちんが勃起する。 いつもの様に半分ほど注入して浣腸を抜いた。 暫くすると便意を感じ始める。 長年の癖になっているのか、手は勃起したおちんちんを刺激していた。 女性に浣腸されているのを無意識に想像していた。 多分、50代になってから知り合った女性に浣腸されていることを思い出していたのだろう。 やがて弄っていたおちんちんが限界に達し虚しく白濁の液を放出した。

 おちんちんを拭い、残った浣腸液を注入し、暫く我慢した。

2018年9月2日日曜日

勃起で判る体調回復〔回顧〕

 出張の後の休日は、お姉さん家で過ごすことになった。 ダウンしてしまった日は朝から検温、浣腸とオムツ排泄、寝床での食事など子供の頃に病気で臥せった折りの母親の看病をお姉さんが再現してくれ、心地よい時間を過ごした。 久し振りに臥せったままのオムツ排泄やオマル排泄の世話もして貰った。 昼前の浣腸とオムツ排泄に始まり、オシッコはオマルやオムツでさされ、トイレに行くことはなかった。

 就寝前には、その日2度目の浣腸を受け、オマルで排泄し、全身を蒸しタオルで拭ってくれた。 まるで老人介護の状態だった。 オムツを着けられ、添い寝をして貰いながら幸せな眠りについた。

 あくる朝、オムツを外される感覚に目が覚めた。 寝てる間にオシッコを漏らしたかをお姉さんが確認していた。 下半身を露わにし、お姉さんに弄られる感触に朝からおちんちんが勃起した。
  「こんなにおちんちんが硬くなる様だったら、もう大丈夫ね。」
「・・・・・」
 オムツを確認しながら、勃起したおちんちんを刺激した。
「そんなことしたら出ちゃうよ。」
と拒否する私の言葉を無視していたが、
  「寝たままオシッコする?」
と言いながら立ち上がり、暫くして尿瓶を持って戻ってきた。 横向きになる様に促され、勃起したおちんちんに尿瓶の口が宛がわれた。 そのまま放尿すると排尿に伴い、勃起していたおちんちんは徐々に萎んでいった。

母親なのか恋人なのか判らない生活が翌日の朝まで続いた。

 排尿が終わると、お尻の穴にワセリンを塗り指を挿入し、お尻の穴とおちんちんの両方を刺激した。 お尻に指を挿入されたことで、萎んでいたおちんちんが再び勃起し、それを見ていたお姉さんも興奮したのか、服を脱ぎ、私のおちんちんの上に跨った。 お姉さんは浴衣の下は裸だったのか、裾をたくし上げ両足を開いて私に跨ったため、その秘部は丸見えだった。 私のおちんちんを自分の膣に宛がいゆっくりと腰を沈めた。 そして腰を上下にゆっくりと動かし始めた。

 お姉さんの上下運動に短時間で限界が近づいた。

 たまらず、「あ、あ~っ!出ちゃう!」と声を出して射精してしまった。 お姉さんは腰を沈め、私の射精を膣の奥で感じていた。 そして私に覆い被さり、長い口づけをした。 朝からお姉さんに犯された様な感覚だった。 排尿と射精で全身が気怠さにつつまれた。

2018年8月18日土曜日

お姉さんに浣腸される〔回顧〕

 トーストで遅めの朝食を済ませ、お姉さんが台所へ去ってだいぶ時間が経過した。
臥せっていると遣ることがないので、実に退屈なものである。 しかし、自宅の様に思ってしまっているお姉さん宅なので、余所行きと云う気分ではないが落ち着かないものである。 悶々としていると浣腸の準備をしてお姉さんが戻ってきた。

  「今日はお母さんだからね。」
「うん、わかった。」
  「いつも寝込んだら浣腸されてたんでしょ。」
「うん、でも今は恥ずかしいなぁ!」
  「大丈夫よ。オマルも用意してあるから。 オムツとどっちがいい?」
「わかんないよ。」
  「じゃ~、お母さんがオムツしてあげるね。」
と言いながらガラス浣腸器にグリセリン液を吸い上げていた。 浣腸器を横に置くと、布団の裾を捲り、お尻の下にオムツを敷いた。
  「あんよ上げるのよ。」と言われて膝を抱え、お尻の穴を突き出すようにした。
お尻の穴にワセリンが塗られ、少しだけ指が挿入された。
  「気持ちいいの?」
と意地悪な質問をする。 「うん」と言うと更に指を挿入し、少し刺激した。
指が抜かれると、浣腸器の先端が挿入された。 ゆっくりとグリセリン液が入ってくるのを感じていると、
  「もう終わるからね。」
注入が終わった浣腸器を横に置くと、ワセリンをもう一度塗り先ほどと同じ様に指が挿入された。 グリセリンの刺激を受けながら指でマッサージされると大きくなりかけていたおちんちんが完全に勃起しているのを感じる。
  「熱があっても、おちんちんは元気なのね。」
お姉さんが、勃起したおちんちんを握り刺激した。 グリセリンとお尻の穴の刺激、それにおちんちんを刺激され洩れそうになった。
「ウンチ漏らしそうだよ。」
と言うと布オシメを陰部にあて、オムツカバーを上から被せた。
  「いつ出してもいいわよ。」と言いながら、お腹に手を置きマッサージした。
やがてお尻の穴が開き浣腸液が漏れるのを感じた。

お姉さん宅でダウン〔回顧〕

 仕事をし過ぎたのか、お姉さんとの楽しみが過ぎたのか定かではないが、週末を楽しもうと思っていたが、無理な状況となった。 症状としては風邪だと思うが、朝から熱があり、食欲もなく床を離れるのが辛かった。

  「きっと仕事を頑張り過ぎたのね!」とお姉さんは優しく扱ってくれた。
  「出掛けることもないから、今日一日ゆっくり休めば治るわよ。」
「そうだね。」
  「今日はお母さんみたいに面倒見てあげるから大丈夫よ。お薬もあるし。」
と言いながら額に手を置き熱の様子を見て、「結構熱があるわね。」と言いながら店の方に行き風邪ぐすりを持って戻ってきた。 コップの白湯と共に薬を飲ませてくれた。
  「何か食べられる?」と聞くので、「パンぐらいだったら。。。」と答えた。
  「ちょっとゆっくりしてから用意してあげるね。もう少し寝てなさい。」
と言いながら、台所へ消えた。

 子供の頃を思い起こす様な母親対応に、すっかり甘える気分になってしまっていた。
子供の頃に寝込んだ時の母親の看病を思い起こしながら、寝床から天井を見上げていた。 じっと見ていると、天井板の木目の模様が色んなものの形を想像させてくれる。 子供ころもそうだった。 子供の頃は、犬や猫が天井に居たり、時には美味しそうな果物に見えたりしていた。 性的な経験をしてしまった今は、童心の様な訳にはいかず、木目模様は女性器やお尻の穴を想像してしまう。 お姉さんの膣に自分のおちんちんが挿入されることを想像しながら、浅い眠りに陥っていた。

・ ・ ・ ・ ・ ・

 多分、うつらうつらしていたと思うが、下半身を触られている感覚に目が覚めた。
  「あら、起こしちゃったわね。お熱計っておこうね。」
お姉さんは、看護婦だったからかどうかは判らないが、肛門体温計を使っている。 自身の検温も肛門体温計を使っている。

 布団の裾を捲ったお姉さんは、下着をつけていない私の浴衣の裾を開き両足を持ち上げた。 突き出し、丸見えのお尻の穴にワセリンを塗るとゆっくりと肛門体温計を差し込んだ。 そして足を下し、掛け布団を元の戻した。
額に手を置きながら、
  「トーストと牛乳だったら食べられるかな? 食べ終わったら浣腸しとこうね。」
と言いながら、再び裾を捲り体温計を抜きジッと水銀が示す目盛りを見ていた。
  「38度はないけど。。。まぁ、そんなに心配することもないわね。浣腸したら熱も下がるわね。」
と体温計をチリ紙で拭いながら、片付け、台所へと立ち上がった。

 暫くするとトースターでパンを焼くいい匂いがしてきた。 お盆に焼き立てのジャムバタートーストと温めた牛乳を持ってお姉さんが現れた。 寝床に起き上がり、用意してくれた朝食を美味しく食べた。 私が食事をしている間、お姉さんは額に手を当てたりして私の状態を気遣ってくれていた。 私が食事を終わると、お盆を下げながら、
  「もう少ししたら、浣腸ね。そしたらよく寝られるから。」
と言いながら台所に行ってしまった。

2018年8月14日火曜日

出張時の滞在場所を気にするお姉さん〔回顧〕

 ある出張の時、夕食を食べながらお姉さんがポツリと切り出した。
  「出張の度にうちに泊まってくれるけど、行きたいところや泊まりたい場所って色々あるんじゃないの?」
「どうしてそんなこと聞くの?」
  「だって、お母さんの様に思ってくれているのは嬉しいけど。。。。」
  「もっと若い女性と色んな所へ行きたいんじゃないの?」
「行きたければ行くかも知れないけれど、今はお姉さんが一番の恋人だよ。」
  「・・・・・」
「僕の内向きな性癖を自分だけで閉じ籠る必要がないことを教えてくれたんだよ。」
「それにセックスも教えてくれたし。。。。。」
  「本当にそう思ってくれてるの?」
  「私も自分だけの秘密だったことを、たかおちゃんとだと秘密にしなくていいから嬉しいわ。」
「そうだね。誰にも言えない二人だけの秘密だね。」

食事も終わりかけていたので、おねえさんはお箸を置き、立ち上がって私を抱き締め長い口づけをした。
  「直ぐに片づけて、お茶いれるね。」
といつもより嬉しそうなお姉さんに私の気持ちもウキウキしてきた。

二人とも何時もの様に膝丈の浴衣というか、ガウンの様なお姉さんお手製の部屋着をきていた。 お姉さんが入れてくれたコーヒーを飲みながら、下着を着けていない股間に互いの手はあった。
「こんなことをしたらイヤ?」
  「そんなことないよ。いつもたかおちゃんの手がここにあれば良いと思ってるよ。」
「いつもここを触られてたら、お姉さんおかしくなるよ。」
  「だって、気持ち良いもの。。。。」

その言葉で、私の指はクリトリスだけでなく、指を膣に入れた。 するとお姉さんは大きく仰け反り、「あ、あ~~~~!だめ~~!」と声を上げた。 今になって思うと、20歳離れた私の指に仰け反っているおばさんの姿は異様なものだったと思う。
膣の潤いに濡れた指をお尻の穴に差し入れると、「あっ!いやーーーっ!」と今思えば歓喜の声を発していた。 私はお尻の穴に挿入した指の先に固いウンチの存在を感じていた。

2018年8月8日水曜日

夏の日の浴衣外出〔回顧〕

 和装で思い出すことがある。 夏の出張での出来事だった。 お姉さんに夕食後に散歩に誘われた。 川沿いの遊歩道を歩いて、和風喫茶でかき氷を食べることにした。 軽装で出掛けるのかと思いきや浴衣で出掛けようと用意してくれた。 ちょっとエッチな気分でもあったこともあり、浴衣だけで出掛けようと提案した。 はっきり言って浴衣の下には何も着けないと云うことだった。

 お姉さんは、最初渋っていたがそのうち少しのスリル感に興味が湧いたのか同意してくれた。 二人とも裸になって着替え、浴衣と帯だけで外出姿を整え、互いに外目には判らないことを確認し合った。 前から見ると浴衣の布地が重なて違和感はないが、お尻はよく見るとパンティをつけていないことが判るかも知れない。 取り敢えず用意をして、躊躇しながらガラス戸を開け、表に出ガラス戸と鍵を閉めた。 明かりが自分たちを照らすのを気にしながら、商店街を歩き、川沿いにむかった。 下半身に照明が当たると下半身が透け、バレるかも知れないと云う不安があった。

 人には判らないが、自分自身がエッチな気持ちでいることと、おちんちんが直接浴衣と擦れることで心地良い刺激があった。 人気の少ない川沿いでお姉さんのお尻を浴衣の上から触ると、柔らかくエッチな気持ちが増した。 お姉さんも同じ気分だったのか、いきなり私のおちんちんを掴み笑っていた。 そんな気分的高揚でおちんちんが硬くなり、素直に散歩できず、手提げの荷物を前に抱え、川を向いて立っている始末だった。 暫くして、おちんちんの勃起が治まったのを見計らって、和風喫茶にはいり、他愛もない話をしながら、かき氷を楽しんだ。

 浴衣で外出し、気分的にちょっぴりエッチな気分になっていたお姉さんと私は、薬局に戻ると互いに抱き合い口づけをしていた。 畳の上に倒れこむとお姉さんの浴衣の裾を開き股間に手を這わせた。 息遣いを荒げたお姉さんも、私の股間に手を伸ばし、勃起したおちんちんを掴み、早く入れてと言わんばかりに刺激した。

 お姉さんの浴衣の帯を解き、私も浴衣を脱ぎ裸になった。 お姉さんの両足を持ち上げ、秘部に熱くなったおちんちんを挿入すると、お姉さんは仰け反り、「あ、あ~っ!」と声を上げた。

2018年8月5日日曜日

お姉さんの和装姿 と 私の普段着(短い浴衣)

 お姉さんは、普段は薬局の店番もあり普通に洋服を着ているが、時折、和装姿を見せてくれる時がある。 お姉さんの和装姿は母親と被る所為か私は好きだった。

 私の母親は大正時代の人らしく和装が多く、パンティなどは履かず腰巻だった。 トイレで用を足す時などは、裾からたくし上げれば事が足りるという便利な衣類だったと思う。 その様な女性の和装は、1932年の「白木屋デパート火災」での大惨事以降大きく変化し、女性がパンツの様なものを着用する様になった。

 和装は結構女性蔑視的な要素が多い。 男性和装は褌や猿股を履くが、女性和装は腰巻だけ。 また男性和装は脇が開いていないのに、女性和装は脇が開いているのは何故だろう。 私の認識が卑猥なのか、それとも和装にはその様な好奇心をそそる秘密があるのか色々考えてしまう。

 そんな好奇心を持ってしまう女性の和装が好きだし、それを愛用している母親や薬局のお姉さんが好きだった。 女装趣味がある訳ではないが、東京でお姉さんの家に滞在している時は、和装の様な簡便なガウン(丈が短い浴衣)を着ている場合が多かった。 勿論ブリーフやパンツは着けずに。 その様な普段着は、私が望んだ訳ではなく、お姉さんの好みで、お手製だった。

 この歳になっても、エッチな気分になりたい本音があり、休日などは、下着をつけず簡便なガウンの様な姿で過ごすことが多い。
外出時の下着もちょっとエッチなものを好んで履いている。 しかし、最近は鼠径ヘルニアの兆候もあり、安全のために脱腸帯を装着し、その上にT字帯をつけていることもある。


チャットで聞いたカミングアウト つづき

 「私に浣腸してみたい?」と声を掛けた母親に、本人は軽く頷くだけだったらしい。 尤もなことで、まともな返事はできる訳はないと思える。 イチジク浣腸を息子に渡し、自分は下半身裸になってベッドに横になった。 本人は無我夢中で自分がされたのと同じ様に母親の両足を持ち上げ、お尻の穴にイチジク浣腸を差し入れたらしい。

 薬液の注入が終わると、母親は息子の手を自分の陰部に誘い、息子の指の刺激に卑猥な声を出して仰け反った。 やがて便意が限界に達すると息子の手を除け、トイレで排泄した。 戻ってくると勃起した息子のおちんちんにゴムを被せ、自分の秘部へと誘ったらしい。 息子は母親が誘うまま、母親との性交に至ったと話していた。 母親の体内で射精すると同時に二人はしっかり抱き合い、互いに泣いたと話していた。

 涙の訳は判らないが、恥ずかしさや虚しさなのか、それとも母子愛なのか、人間の感情や親子の感情というものは複雑だと感じた。

 その男性は、「そんなことをしてしまった自分はこれからどうすれば良いか判らない?」と話していた。 迷っている自分にアドバイスが欲しいと云うのが私のチャットに入室した理由だった様だ。 決して好ましい状態とは言えないが、互いの浣腸性癖を知って仕舞い、近親相姦までが現実になったのだから、なかったことにはできない。 また、母息子の家庭であり、今後も同居を継続するなら、互いが遠慮してしまう様な関係は良くない。 だから、どちらかが止めたいと思うまで続けた方がわだかまりがなく、好ましいのではないかとアドバイスした。

チャットで聞いたカミングアウト

 チャットで待機していると、大学生だという男性が入室してきた。 男性なので間違いかと思ったが、私が年配者だと思って入室したらしい。 初めの内は、子供の頃に母親に浣腸されたことが切っ掛けで浣腸好きになってしまったという平凡な会話で始まった。

 当たり前の様に、女性と浣腸をしたりされたりと云った経験談に会話は進んだ。 私自身の母親からされていた浣腸のことを話し、社会人になってからの年上の薬局の女性との偶然の出会いとか話した。 チャットの相手の学生さんは、突然、ちょうど一ヶ月前、自分も浣腸をされたというので、彼女とか風俗的な場所なのかと思って話しをきいていた。

 話しを聞いていると浣腸されたのは、母親と云うことだったので、また便秘治療のためかと思っていた。 しかし、彼は自分の浣腸についての性癖を母親にカミングアウトしたのだと言っていました。 母親に自分の嗜好を話した時は、凄くびっくりした様子で聞いていたと話してました。 本人は、話したことでその日は気恥ずかしい思いをしていたらしいが、あくる日、「お母さんが浣腸してあげようか。。。」という言葉に驚き、何も言葉を返事が出来なかったと言っていました。

 そこから、何回か母親に浣腸して貰い、勃起したおちんちんを弄って射精もさせて貰ったということでした。 話しを聞いていて、きっと母親も浣腸癖があるのだろうと想像していたが、昨夜、母親が突然、「私にも浣腸してみたいの?」と声を掛けて来たと話していました。
 

2018年8月4日土曜日

最近のエネマライフ

 「高齢者の便秘」という話題を耳にすることがある。 年齢を重ねることでの身体機能の衰えや、生活習慣などの影響で便秘になり易い傾向にあるのだろう。 私自身、もともとの便秘体質もあり、気になる話題である。 その上、子供の頃に発症した鼠径ヘルニアが躊躇なく排便することを妨げているのかも知れない。

 排泄は、体内で不要となったものを対外に排出する行為であり、排泄物を体内に長時間溜め置かない方が良いのは当然の摂理である。 その自然な行為が他人には見られたくない羞恥なことである。 人間の持つ感性の不思議な点だと感じる。 私自身も年齢を重ねても羞恥な行為であることに変わりはない。 しかしその羞恥な行為が何故か嗜好となり、それを共有できるパートナーを探している自分は何を考えているのだろうと、我に返ることもあるが、またその様な願望に走ってしまう。 嗜好とは不思議、複雑なものである。

 私自身、不思議な浣腸の魅力に取りつかれ半世紀が経過するが、未だ虜になっているのだろう。 自然排便が一番良いが、いつもいつもスムーズにとは行かない。 ひょっとしたら高齢者の便秘の傾向が訪れているのかも知れない。 身体の中に溜めておくより、浣腸をしてでも排泄した方が良いと思い、余り考えることもなく浣腸するのが日常である。 特にガスが溜まりやすく、お腹が張る時などは浣腸でスッキリすることが多い。

 幾つになっても、浣腸は性的興奮を高める。 若いころから、浣腸とオナニーはセットの様になっていたが、年齢に関係なく浣腸を我慢している間はおちんちんを弄ってしまい、刹那の快感を感じることをしてしまう。

 こんなエネマライフがまだ暫くは続くのだろう。

2018年7月29日日曜日

浣腸オナニー〔回顧〕

 薬局のお姉さんに遭遇するまでは、自分で浣腸する度にオナニーをすることが全てだった。 それが高じるとオナニーに為に浣腸することもあった。 浣腸液を少しだけ注入し、グリセリンの刺激を感じながらおちんちんを弄るのが好きだった。
私の場合、無意識のうちに浣腸が性的興奮に繋がっていた。 風邪で臥せっているときの浣腸でおちんちんが大きくなり、その時、母親の手で射精させられたことは以前に記した通り鮮烈な記憶である。 それ以降、浣腸と射精は私の中で強く繋がり、浣腸が性的興奮を呼ぶ大きな手段となっていた。 大人になってからもその感覚は抜けることなく、セックスを妄想する中でも浣腸は常に関連付けられていた。

 偶然遭遇した薬局のお姉さんは、私のその様な性癖を見抜いていたのだと思う。 それはお姉さん自身にもその性癖があるが故に感じ取ることが出来たのかも知れない。 浣腸と性的興奮が結びつく切っ掛けは人様々だと思うが、私の場合は、母親にされる浣腸であったことは間違えはない。

 薬局のお姉さんの場合は、元看護婦であったことや自身が職業柄便秘症であったことが切っ掛けなんだろうと想像できるし、その様なことが切っ掛けで結婚に至ったとの過去の話しを聞いた。 それ故、お姉さんに対しては私の性癖を隠す必要は全くなかった。

 私が初めて薬局を訪れた時のことは印象的だったのだと思うが、
  「私と出会わなかったら、どんな風に浣腸やオナニーしてたの?」
と聞かれたことがある。 自分だけの秘密の姿を言葉にすることは非常に恥ずかしかった。 しかし、それをお姉さんには話したいと思う変な衝動があった。 その根底には私自身のM性があるのかもしれない。

「どんな風にって。。。そんなこと口にするのって凄く恥ずかしいよね。」
  「私はモヤモヤした気分になったら浣腸しちゃうことが多いのよ。」
「同じかもしれないね。ウンチが出てないと何かモヤモヤしてスッキリしないよね。」
  「そうそう。モヤモヤしてるから、浣腸すると弄りたくなるのよ。」
「僕は浣腸少しだけ入れてオナニーするよ。」
  「あら、私も全部いれるとオナニーどころではなくなるからそうするのよ。」
「同じなんだね。オナニーが終わってから残った浣腸液を入れるんだ。」
  「同じ様にしてるのね。」
「でも、全部終わってしまうと凄く虚しい感じがするね。」
  「オナニーって、気持ちを共有する相手がいないからそんなものよ。」
「そうだね。お姉さんに会ってから気持ちが満たされている感じがするよ。」
  「そう言ってくれたら嬉しいわ。私もあなたを面倒みてる喜びがあるわよ。」
「でも、お姉さんにオムツの趣味があるのはびっくりしたよ。」
  「たかおちゃんだから、全部話しておいた方が良いと思ったの。」
「うん。」
  「でも、受け入れてくれたから話してよかったわ。」
「オムツは以前から興味があったけど、家で使えないし、買うのも難しいよ。」

2018年7月18日水曜日

その日の夜〔回顧〕

 食事も終わって、コーヒーを飲みながら、会社のことや、仕事のことなどお姉さんには理解はできないが私についての色んなことに興味を持っていた。 そんな会話の中で、
  「これまで東京に出張で来た時はどんな風にしてたの?」
「どんな風にって? 何を?」
  「だって、出張とかでホテルに泊まったら、ウンチが出ないことが多いんでしょ?」
「うん、だから何時もは浣腸用意してるよ。でも前の出張の時は持って来るのを忘れたけど。」
  「だから買いにきたのね。でも、もし持ってきてたらもっと困ってたんだね。」
「どうして?」
  「だってこの間みたいに浣腸しても出なかったら。。。。」
  「私が居たから解決したけど、もし自分だけだったらどうしようもないじゃない。」
「そうだね。お医者さんへ行くのも恥ずかしいよね。でも仕方ないかも。。。」
「浣腸持ってくるの忘れたのも、お姉さんとこに来たのも凄い偶然だね。」
  「私は貴方が店のガラス戸を開けて入って来た時から、ピーンと来たのよ。」
  「そして、あくる日ウンチが出ないと言って入って来た時、凄く可愛く思えたわ。」
「最初から、凄く親近感を感じたので、あくる日困って来てしまったんだ。」

  「浣腸してあげた時、おちんちんが大きくなってたでしょ?」
「・・・・・」
  「それを見て、浣腸に慣れてるんだなぁって思ったのよ。」
  「でも、貴方が興奮してるのを感じて私も興奮しちゃったわ。」
「・・・・・」
  「長い間、セックスとは無縁だったけど、あなたの勃起したおちんちんを見ていると急に入れて欲しくなって。。。。」
「でも、お姉さんが僕に浣腸渡したのはびっくりしたよ。」
  「どうして?」
「おねえさんも、浣腸で興奮するんだと思って。。。。」

2018年4月18日水曜日

目覚まし浣腸〔回顧〕

 私の寝起きの悪さに、お姉さんは呆れていた。 朝声を掛けられたり、身体を揺すられたり程度では判ってはいるが寝床から起き上がらなかった。 人はそれを聞くと、低血圧症ではないかと言うが決して血圧値は低い方ではなかった。 身体を揺すられるだけで起きなかった私に、お姉さんは寝間着(浴衣)の裾を捲り、剥き出しになったお尻を叩かれたこともあった。 尤も寝る時にお姉さん同様に下着を着けていないこともあったからだ。

 ある時、お姉さんのオムツ嗜好に便乗して私もオムツを着けて寝た。 オムツを着けて寝た時は、オネショする訳ではないが、起き掛けに寝床の中でお漏らしをする快感を楽しんだ。 慣れない私は、初めのうちはなかなかオシッコを出せなかったが、お姉さんに抱きつきながら一緒にお漏らしをすることを繰り返すうちに生暖かい感覚と本来ならしたくないと思うことを敢えてしてしまうことに快感を感じる様になっていた。

 私の寝起きの悪さに怒りを感じていたお姉さんは、私がオムツを着けている時、目覚める前にこっそりと私に浣腸をしたことがあった。 浣腸されたことを気づかなかった私は異常な便意に気づき、少し漏らしたものの慌ててトイレへ行った。 それを見てお姉さんは、「どうしたの?」と惚けていた。

 浣腸されてトイレへ行ったものの、ウンチが殆どでなかった。 大笑いしていたお姉さんにそのことを話すと、ウンチは起きて暫くしないと直腸まで下りてこないらしい。 直腸にウンチが溜まっていないので浣腸しても直腸からだいぶ上にあるウンチには浣腸液が届かず、思ったほど出ないらしい。

 「でも、目覚ましにはいい方法みたいね。」と笑っていた。

2018年4月15日日曜日

オムツお漏らし〔回顧〕

 二人でのオムツ姿に、互いに相手の格好を見て笑いあった。
「オムツで外出してみたいなぁ。」
  「上から服を着てもお尻が膨らむから、判ってしまうわよ。恥ずかしいじゃない。」
「時々思うんだけど、なんか恥ずかしい姿で外出してみたいなぁとか。。。」
  「ちょっと変態嗜好があるのかもね。」
と話しているうちに、オムツをする前にトイレへ行かなかったこともあり、尿意を催してきた。 そのことを告げると、「トイレへ行ったらダメよ。お漏らしするんだったら一緒にしよ。」と我慢するか、オムツ排泄を強要されそうな雰囲気だった。

・・・・・

 大人になってオムツでオシッコを漏らした経験がないと、なかなか出せないものであることが判ってきた。 トイレなら自然と排泄できるが、オムツだと何故か我慢してしまう。 「出そうと思ってもでないよ。」と言いながら、お姉さんがどんな風にオムツお漏らしを楽しんでいるのかを聞くと、
  「う~ん。改まって聞かれると困っちゃうけど、朝起きた時ってオシッコ溜まってるでしょ。普通、目が覚めるとトイレ行ってオシッコするけど、それを寝床の中でするの。何となく気持ち悪い様な気持ち良い様な気分になるのよ。」
と説明しながら、立ち上がると薬箱からイチジク浣腸を持ってきた。
「浣腸するの?」と聞くと、「ちょっと横になってごらん。」と言いながら、私のオムツを開いて私のお尻の穴に浣腸を差し込み少しだけ注入した。そして再び私のオムツを元の状態に戻すと、「私もして。」と薬液の残ったイチジク浣腸を私に渡した。

 お姉さんを寝かせオムツを開いて両足を持ち上げた。 先ほど拝見した恥部は、浣腸されと思ってか、少し光って見える。 濡らしているのかも知れない。 浣腸する前に陰部を触ると、「いや~ん、ダメ。」と言いながら、やはり濡らしている陰部を隠す様に両足を閉じた。 閉じられた両足を無理矢理押し広げ残った浣腸液を注入した。 そして再び陰部を弄ると、激しく感じていた。

 その後、お姉さんに抱っこされていた私は、前も後ろも限界に来ていた。 そのことを告げると、「私も!」と二人揃ってオシッコと浣腸液をオムツに漏らした。 お姉さんは一人の時はこんなことをして快感に浸っていたのだろうと想像しながら、自分も排泄してしまっていた。

2018年4月12日木曜日

二人のオムツ遊び〔回顧〕

「使ってみようよ。でも、シートオムツより、小っちゃい時は布のオシメだったよ。」
  「そうだよね。こんな使い捨てができたのは最近だもんね。」
「使い捨てってゴワゴワしないの?」
  「布地の昔のオシメみたいではないけど、始末が楽なのと漏れないからね。」
「そうだよね。ウンチだったら洗い流して、別に洗濯しないといけないから大変だよね。」
  「たかおちゃん用のオムツカバー買ってあげるね。布のオシメも買ってみるから。洗濯はしてあげるから大丈夫よ。今日は予備のを使ってみる?」
「うん。」
  「古いタオルあるし、それオシメに使おうか?」
とお姉さんは、雑巾にしようとストックしていた使い古したタオルを何枚か持って戻ってきた。
  「ちゃんと洗濯してあるから大丈夫よ。ここに寝て。」
私を招き寄せ、居間の畳に寝かせた。 脱がされると下半身裸の状態となった。
「先にオシッコしてくるよ。」
  「何言ってるの。オムツする意味ないじゃない。」
と言われると尤もな話しである。

お姉さんは私の股間に二重にしたタオルを宛がいオムツカバーを閉じた。 お姉さんの使っているオムツカバーは、病院用の簡易なものなので余り嵩張らず違和感はない。
  「お漏らししてもいいよ。さっきトイレ行くって言ってたから、出るでしょ?」
と言われても、直ぐには出ない。

「お姉さんもオムツしようよ。」
  「今夜は、一緒にオムツ生活にしようか!」
ということで、お姉さんは、自分のオムツカバーとシートオムツを持ってきた。
そして私と同じ様に仰向けになったお姉さんの衣類を脱がせると、やはり恥ずかしいのか両手で顔を隠していた。 興奮状態以外でお姉さんの股間を触ったことはあるものの、まともに見るのは初めてだ。 両足を持ち上げると陰部が露わになり、年配女性の卑猥な部分を存分に拝見してしまった。 オムツカバーとシートオムツを重ねてお尻の下に敷き、股間を覆う形でオムツを履かせた。

2018年4月9日月曜日

お姉さんの嗜好〔回顧〕

 居間から持ってきた風呂敷包みを二人の間に置くと、風呂敷を開き始めた。 何が出てくるかと思うと、見て直ぐに『オムツカバー』であることが判った。
「これってオムツカバーでしょ?大人用?」
  「そうよ。」
「僕のために?」
  「違うよ。私が使ってるの。。。。。笑わないで!」
「初めてお姉さんに浣腸して貰った時ね。トイレじゃなくてオムツみたいな感じでしたでしょ。」
  「うん。トイレまで行けないと思ったから、私が使ってる使い捨てのオムツを宛がったのよ。」
「あの時、思い出したんだ。子供の頃のオムツでウンチしたこと。。。それに僕は布のオシメだったなぁ。」
  「浣腸してウンチはオマルだって言ってじゃない?」
「普段はそうだったけど、熱を出して寝込んだ時とかはオムツだったんだよ。」
  「えっ、そうなの? 浣腸して貰ってお布団の中でオムツでしたの?」
「そうだよ。」
  「私はね。子供の頃なかなかオムツが取れなくて、小学校へ上がってからもオネショするから、オムツさされてたの。それで大人になってからもオムツに変な執着があったんだけど、暫く忘れてたの。でも、別れた主人にオムツで排泄させられて。。。。」
「へぇ~、お姉さんがオネショしてたって驚きだね。」
  「怒るわよ。でも、たかおちゃんにそんなオムツ体験があるって思わなかったわ。」
「だから、オムツは余り変に思わないよ。」
  「よかった!たかおちゃんに笑われちゃうと思って言えなかったの。」
「でも、パンツ履かないのが好きなんでしょ?」
  「それとこれとは別よ。嫌だった浣腸が好きになる様に、嫌だったオムツも今になったら執着が出ちゃうの。」
「それは良く判るし、僕もオムツは無縁じゃないから使ってみたいと思うよ。」
  「え~っ、そんな風に言ってくれたら嬉しいわ。たかおちゃんとこんなに好きなことが合うって不思議ね。」
「前世で親子か姉弟だったかもしれないね。」
  「そうね。これで、たかおちゃんに何も隠さなくてよくなったから嬉しいわ。」
「お互い隠しごとはなしだよ。」
  「うん、判ってるわ。お互い全部判ってるって凄く安心よね。」
「そうだね。遠慮せずにオムツつけたら? つけてあげようか?」
  「うん、でも恥ずかしいなぁ! お風呂入ってからね。」
「そうだね。僕もオムツ使おうかなぁ?」
  「えっ、一緒にする? たかおちゃん用のオムツカバー買ってきてあげるね。」
「でも、自分でどんな風にオムツ使ってるの?」と聞くと彼女は顔を真っ赤にして、
  「そんなこと聞かないで、恥ずかしいから。」
「オシッコお漏らしするの? 浣腸するの?」
  「どっちも。。。。」
「ねぇ、家の中じゃなくて、外でオシッコお漏らししたことあるの?」
  「そんなのないわよ。」
「僕してみたいと思ったことあるよ。浣腸してとか。。。」

お姉さんの告白〔回顧〕

 朝浣腸されて仕事に向かった日は、一日快適に仕事を頑張ることができた。 お姉さんとの時間をできるだけ多くしたいので、残業をすることなく仕事を切り上げた。 薬局に戻る途中、お姉さんが好きな生和菓子を買い、食後に楽しもうと帰路を急いだ。 薬局のガラス戸を開けると、「お帰りなさい!」と明るい声がした。 炊事をしていたのかタオルで手を拭いながら迎えに出て来た。

 「すぐ食事にするからね。着替えて待ってて。今日はお鍋だよ。」と買ってきた生和菓子を渡すと、「あ、好きなんだ。ありがとう。後で食べようね。」と素直に喜んでくれる。 言われる通り着替えて食卓に座りながらテレビを観ていた。 やがてガスコンロや土鍋、山盛りの野菜や鶏肉、豚肉が食卓に並べられた。
  「二人で食事すると思うと用意するのも楽しいのよ。一人で食事してると、適当なものしか作らないから詰らないわ。」
「僕はご馳走じゃなくてもいいよ。」
  「そうじゃないのよ。貴方と一緒に食べると思うと、私も食べたいものが一杯浮かんでくるのよ。」
「そっか。じゃ~、僕が来た方がお姉さんもちゃんとした食事ができるんだね。」
  「そうよ。だから、来てくれるのが楽しみなの。」
「出張じゃなくても、来るよ。」
  「無理しなくてもいいのよ。次はいつ来るのかなと楽しみにしてるのよ。」

・・・・・

二人で雑談をしながら、鍋をつつきあった。
「あ~、美味しかった。お腹いっぱいだよ。」
  「良かったわ。食べたいもの言ってくれたらなんでも用意するからね。」
「お姉さんの食事美味しいから何でも食べるよ。」
  「そう、ありがとう。片づけ終わったらお茶にする?お菓子買ってきてくれたし。」
「うん。」

・・・・・

和菓子とお茶で寛ぎながら、
  「実はね。たかおちゃんに話しておきたい秘密のことがあるんだけど。」
「どうしたの、突然? 秘密のことって何?」
  「私から言いかけたんだけど、話すの凄く恥ずかしいの。どうしようかなぁ?」
「そこまで言ったんだから、話しちゃってよ。余計聞きたいよ。」
  「話すより、持って来るね。」と立ち上がると今の押し入れの方へ行った。

暫くすると風呂敷包みを持って戻ってきた。

朝から浣腸される〔回顧〕

 朝は、お姉さんが先に起きていたらしく、彼女に起こされる形で目覚めた。 私の場合、起こされたと言っても簡単に起きられないタイプだ。 今朝も彼女に布団を捲られ、揺すられただけでなく、浴衣を捲ってお尻を何度も叩かれた。 世間で云う「寝起きが悪い」と言われるタイプである。

  「朝シャキッと起きないから便秘になるんだよ。身体の代謝がなかなか目覚めないみたいね。」と医療関係者らしいコメントを頂戴した。 冷たい水をコップに入れて私の前に置いて、「これから朝起きたらコップ一杯水を飲みなさいね。お通じにいいわよ。」
置かれたコップの水を飲み干すと目が覚めた感じがした。

 朝食が用意されていて、「顔を洗ったら朝食よ。」、「はーい。」と言う会話でトイレと洗面所に向かった。

 お姉さんが準備してくれたジャムトーストや卵料理を食べ、コーヒーを飲み終わると、「出かける前にトイレに行くのよ。」昨夜の話しを忘れず声を掛けて来た。 と言われても、余り便意は生じてこないのが現実だった。 指示に背くこともできず、和式トイレにしゃがんだものの気張ってみても出なかった。 成果がないままトイレから出ると、「どう?出たの?」首を横に振ると、「じゃ~、ここに横になって。そのままじゃお仕事も身が入らないでしょ。」と薬箱から浣腸を取り出した。

 居間で横になった私の浴衣の裾を捲り両足を持ち上げた。 そして母親にされたのと同じ様に仰向けに寝た私のお尻の穴に浣腸を差し込んだ。 薬液を注入すると紙で抑える様にして、使い終わった浣腸の始末をした。 おちんちんが固くなっているのを見て、「ダメよ、朝から。」と嗜めた。 暫く我慢した後トイレに行くと、お姉さんがついてきてトイレに入っても私の後ろに居た。 見られることに恥ずかしさはなかったので、そのまま裾を捲り和式便器にしゃがみ排泄した。 薬液と共に出たウンチを確認した彼女は扉を閉めていなくなった。

2018年4月8日日曜日

色んなことが初体験の私〔回顧〕

 前回の出張時と合わせて私にとっては、3回目のセックス体験となった。 しかし、母親の様な東京のお姉さんとのセックスというより、お姉さんにして貰っているという形でのセックス経験だった。 社会人になって1年も経たない時期の私は、性的なことには結構興味を持っていた。 ましてや性体験がなかった私には、お姉さんとの二人きりの生活は、夢の様な環境だった。

 自分でのオナニーしか知らなかった私が、女性の中で射精することを体験することで、セックス以外の想像の域を出なかったことも、もっと具体的に知りたいと思う様になっていた。 女性の生理のこと、女性のオナニーのこと、オナニーでやっぱり浣腸をつかうのだろうか、オシッコはどんな格好でするのだろうか、ウンチはどんな風に。。。。いやらしい想像が色々頭をよぎる様になった。

 浴室から出ると、自分の身体を適当に拭い、別のバスタオルで母親にされていた様に、私の身体を丁寧に拭った。 子供扱いされることを快く感じてしまった。 私に浴衣を着せると自分も浴衣を着た。 そのままお姉さんは寝床の準備をし始めたので、私もそれを手伝った。 二つの寝床はぴったりとくっつけて敷かれた。 そして洗面所で歯を磨き寝る準備をした。 風呂で温まった所為か身体が火照っている。

 二人は布団に転がり顔を見合わせていると、お姉さんが、「私として気持ち良かった?」と聞いてきた。 「うん。」と答えると、「オナニーより気持ちいいでしょ?」と言う。 「どうして?」と聞き返すと、「私がそうだから。」と本音を洩らした。

 疑問に思っていたことを聞きたいと思い、「生理ってどんな感じなの?」と聞くと、「男の子だもんね。生理のことは判らないわね。月に1回ぐらいアソコから出血するのよ。要らなくなった卵子を身体の外に排泄するためによ。」と真面目な答えが返ってきた。 「その時はセックスできないの?」と聞くと、「できない訳じゃないけど、お互い気持ち悪いから普通しないわね。」、「お姉さんが生理の間に僕がしたくなったらどうするの?」、「その時は私が他の方法で気持ち良くしてあげるわ。」と言いながら、私のおちんちんを触ってきた。

 「私が居るのに貴方も自分でオナニーするのは嫌でしょ?」、「うん。」、「ところで今日はうちに来るまでにウンチしたの?」と聞かれ、「今日はここに来るからウンチでなくても大丈夫だと思ってしてないよ。」、「ダメよ、毎日朝トイレに行くようにしないと。それに場所が変わると余計でないんでしょ。私は毎朝トイレに行くようにしてるのよ。」と母親か看護婦さんの様な口調で叱られた。 「明日の朝出なければ浣腸するね。今はお腹張ってないの?」、「うん。」、「じゃ~、明日ね。」と言われた。

2018年4月7日土曜日

5泊の東京滞在〔回顧〕

 迎え入れてくれたお姉さんは、普段着の状態で私を特別扱いしている様子はなかった。 店に入るなりの口づけで時間の流れが前回の出張時と繋がった。

  「食事は?」
「うん、新幹線で駅弁食べたけど。」
  「何食べたの?」
「幕の内。」
  「あったかいお蕎麦作れるよ。」
「あ、食べたいなぁ。東京のお蕎麦好きだよ。」
  「なら作ってあげる。作ってる間に着替えたら。」
「はい。」と言いながら、母親に促される様に着替えを済ませた。
前回用意してくれていた彼女が着ているのと同じトレーナーの様な普段着を身に着けた。
  「できたわよ。」の言葉に、食卓に着くと美味しそうに湯気の立つ蕎麦が置かれ、お姉さんと一緒に楽しく食べた。
「うどんは大阪のが好きだけど、蕎麦は東京の方が美味しいね。」
  「そう言ってくれたら作り甲斐があるわ。お蕎麦好きなの?」
「うん、お姉さんと同じぐらい好きだよ。」
  「ば~か」と、どうでも良い会話をしながら食べ終えた。

 母子なのか恋人なのか判らないが、二人でくっついてソファに座りテレビを観ていた。 新大阪で買い求めた土産と美味しい緑茶で5泊の滞在の始まりを楽しんだ。 彼女の胸元を触ると直にふくよかな乳房を感じた。 お姉さんは私の行為を無視するかの様にお菓子を食べているので、力を入れて揉むと、「痛い!」と怒っていた。

  「もう11時だね。お風呂どうする? 一緒に入ろ!」
とお姉さんから驚きの提案があった。 女性と風呂に入るのは、小学校高学年ぐらいに母親と入ったのが最後だった。 想像していなかったことに驚きと共に嬉しくなって、「うん。」と答えてしまった。 バスタオルなどを用意した彼女は、躊躇することなく、私の目の前で脱ぎ始めた。 それを見て私も従った。 二人とも下着は着けていなかったので、普段着を脱ぐと全裸状態だった。

 全裸のまま、二人で浴室に入り、お姉さんが湯温を確かめると自分がかかり湯をし、私にも湯をかけた。 古い家で浴槽も大きく、二人で湯に浸るのに十分であった。 お姉さんの横で湯に浸っていると、「大阪に帰っている間、どうしてたの?」と聞いてくる。 「何が?」と聞き返すと、「したくならなかったの?」と私のおちんちんを掴んで来た。 「ここ、弄ったでしょ?」、「したよ。」、「浣腸も?」、「恥ずかしいよ。」、「うちに居る時は私がしてあげるね。」、「うん。」と言いながらお姉さんの股間に手を伸ばすと、お姉さんは両膝を開き、私の手を受け入れた。

 お姉さんの陰部を弄っていると、「あ、あ~っ!」と吐息が漏れ、私のおちんちんを強く握った。 そして私の手を取って浴槽を出ると、私を浴槽の腰掛けに座らせ、向かい合う形で私の膝に跨った。 お姉さんは自分の膣に私の勃起したおちんちんを宛がいゆっくりと挿入した。 二人は抱き合いながら、お姉さんが腰を動かすのに任せた。 互いに快感に声を出し合い、やがて、私が「出ちゃうよ。」と言うと、「いいよ。」というと、お姉さんも「う、あ、あ~っ!」と声を出しながら、脈打つおちんちんを深く銜え込んだ。

 暫くの間二人は抱き合った儘で居たが、やがてお姉さんが立ち上がり、小さくなったおちんちんはお姉さんの膣から解放された。 お姉さんは股間に洗面器で湯を掛け手で洗い流すと、私の股間も湯を掛け洗い流してくれた。 タオルに石鹸をつけると私の身体を擦りはじめ、全身特に股間を綺麗にしてくれた。 同じタオルで私もお姉さんの身体を拭い、互いにかかり湯をして、再び浴槽に一緒に浸かりました。

 「私のこと好き?」と聞くので、「好きだけど、お母さんといけないことしてる様な感じがするよ。」、「歳の差があるもんね。私も息子とと云う様な感じがしてるけど、貴方が良ければ東京のお母さんになってあげるね。」、「本当は、いけないことが出来るお母さんが欲しかったんだ。」、「貴方がして欲しいことは何でもしてあげるね。だから何でも言うのよ。」、「うん。」

薬局の女性への電話〔回顧〕

 私が社会人になったころは、通信手段と言えば、固定電話、公衆電話、手紙やハガキと言った郵便ぐらいしかなかった。 昨今我々が当たり前の通信手段として利用しているスマホやインターネット、LINEなどは影も形もない時代だった。

 薬局でお世話になってから、2週間ほどの時間が流れていた。 その間、何度か薬局へ電話し、都度「次の出張は何時?」と彼女の問い掛けだったが、やっと出張が決まった。
逸る気持ちを押さえながら公衆電話から彼女に電話した。 5回ほどの呼び出し音で彼女は電話に出た。 私からの電話だと判ると、「元気にしてる?」と嬉しそうな声が聞こえて来た。 「出張決まったよ。」と言うと、「えっ!そうなの。何時?ねぇ、何時なの?」とせっかちに聞いてくる。 20歳も上の女性が、少女の様に感じられた。 私も内心ウキウキしていた。 仕事より、彼女に会えることに心が占有されていた。

 出張予定も、週の後半に設定し、日曜日まで東京に滞在することにした。 それを彼女に伝えると、「何日でも居ていいのよ。何なら、ず~っと居てもいいわよ。」と喜んでくれた。 火曜日の夕方逸る気持ちを押さえながら、新大阪駅から手土産を買って新幹線に乗った。

 薬局に到着した時は既に午後9時を回っていたので店は閉め、カーテンが引かれていた。 呼び鈴を押すと中からカーテンが開き私であることを確認するとガラス戸を開けてくれた。 中に入ってガラス戸を閉じると彼女は私を抱きしめ、「来るのを楽しみにしてたのよ。」と口づけを交わした。

2018年4月2日月曜日

4月2日(月) こんな一日

 大阪では、市営地下鉄が民営化され、「大阪メトロ」としてスタートした。 多くの会社では新しい年度が始まり、新入社員らしき若者を事務所街で見かける。 自分にもそんな時期があったのだと懐かしく若者の姿を見送った。

 私にとって就職した時期は、子供の頃から母親の一部と化していた自分が、大学を経て徐々に独立した一つの個として活動し、社会人となることで完全に独立したと認識できたタイミングだった。 しかし、奥手であったのか、女性と交際はしたことがあったが、まだ女性との性的経験はなかった。 しかし、興味だけは人一倍あったとは思う。

 そんな状態で知り合ったのが東京の薬局の女性であった。 性的なことは、浣腸と思春期が変に融合したオナニーが原点となっていた。 そのため薬局の女性との経験は、本当に衝撃的なものとなった。

 今日もブログを書きながら、「薬局の女性」との出会いを潜在意識の中で期待しているのかも知れない。 最近は、脱腸の症状があり、余計にそんなことを考えてしまうのかも知れない。 脱腸の症状は、数年前に入院し、開腹手術を受けたことが原因していると思う。 開腹手術を受けたことで腹筋が弱くなり内臓を押さえこむことができなくなっていると想像している。 脱腸は手術で簡単に解決できる時代だが、また切開手術を受けるのは非常に憂鬱なことであり、ついつい先延ばしにしているのも事実だ。

2018年4月1日日曜日

今回出張の最後の夜〔回顧〕

 私の排便が終わり、お姉さんが排泄したウンチの確認をしてくれました。
  「いいウンチがでたわね。これからは固くならないうちに浣腸するのよ。」
と排泄物を始末してくれました。 「そろそろ寝ましょうか。」と言いながら、部屋を片付け布団を敷き始めたので、脱いだ普段着を着て、勝手が判らないまま彼女の手伝いをしました。

 寝床を敷きながら、
  「二人分のお布団を敷くは、初めてだわ。」
と嬉しそうに身体を動かしていました。
  「これが貴方の寝間着よ。」
と用意してくれたのは、パジャマではなく、ガーゼの浴衣でした。 自宅ではパジャマを着ていた私は少し戸惑ってしまった。
  「旅館に泊まったと思って、それ着てね。」
と彼女も、寝る準備を始めました。 母親の着替えに慣れていた私は、私の横で裸になって同じ様に浴衣を着ました。 パンツは履かずに浴衣を羽織った彼女を見て、私も同じ様にパンツを着けずに用意されたガーゼの浴衣を羽織りました。

 二人で洗面所へ行き、歯を磨き顔を洗った。 そして彼女を抱き寄せ長い口づけを交わしました。 身体を離し一緒に寝床に向かいました。 それぞれの寝床に潜り込むと、
  「ねぇ、私のこと好き?」
と聞いてきました。 私は、躊躇なく
「好きだよ。」と答えると、彼女は私の方に手を伸ばしてきて、
  「良かった。嬉しいわ。こんなおばさんと付き合うのは嫌かなと心配してたの。」
「そんなこと心配しなくていいよ。」
と言うと、彼女は自分の布団を出て、私の布団の中に潜り込んできました。
  「次の出張の時も、ここに泊まってね。」
「迷惑じゃないの?食事のこととか色々面倒でしょ。」
  「そんなことないわ。貴方の面倒みると思うと楽しくなるわ。」
と私の口に唇を重ねてきました。
「ありがとう。」
彼女は、顔を埋めながら、手で私のおちんちんを弄っていました。
  「ねぇ、浣腸が好きな女って嫌じゃないの?」
「僕も浣腸好きだし、お姉さんがついててくれたら安心だよ。」
  「・・・・・」
「お姉さんに浣腸されると、何か母親とかぶっちゃうんだ。」
  「お母さんにどんな風に浣腸されてたのか、もっと教えて。」
「どんな風に。。。って、昨日とか今日してくれたのと同じだよ。」
  「東京のお母さんは貴方にするだけじゃないのよ。」
「どういうこと?」
  「貴方がお母さんにも浣腸してね。」
「うん、いいよ。」
私も彼女の陰部を弄りながらいつの間にか眠りに落ちていました。

2018年3月30日金曜日

お姉さんから、おちんちんを抜いて〔回顧〕

 お姉さんから身体を離しながら、不安に思っていたことを聞きました。
「昨日から中に射精しちゃってるけど大丈夫なの?妊娠しちゃうんじゃないの?」
お姉さんは笑いながら、
  「私も看護婦だから良く判ってるわよ。心配しなくていいのよ。」
「どうして。。。。?」
  「う~ん、今まで妊娠したことないし、多分子供ができない身体だと思うわ。」
「そうなの。。。変なこと聞いてごめんね。」
  「気にしなくていいのよ。ず~と以前から判ってることだから。。。」
「・・・・・」
  「だから、安心して出していいのよ。貴方もその方が気持ち良い筈だから。」
「違いは判らないよ。経験ないから。。。」
  「あ、そうだったわね。ゴメン、ゴメン。」
「だって、お姉さんが初めてだから。。。」
  「オナニーする時、コンドームつけないの?」
「そんなことしてないよ。出そうになった時チリ紙で受けてるから。。。」
  「そうなの。へぇ~、そんな風にしてるんだ。。。」
「他の人はコンドーム使ってるの?」
  「私はコンドーム使うって聞いたわよ。でも、どんな方法でもいいんじゃない。」
「うん。」

  「明日帰るんでしょ。だからもう一度浣腸しておこうか?」
お姉さんは、突然女性から看護婦さんに変身したようでした。
ソファーの上で、裸の私は、両足を持ち上げられ、裸の看護婦さんに浣腸されました。
イチジク浣腸の注入が終わると、チリ紙でお尻を押さえている様に私に言い、何かを取りに行きました。

 オマルを持って戻って来たお姉さんは、何かゼリーの様なものを指に取り、チリ紙で抑えているお尻の穴に指を挿入しました。 お姉さんが指が結腸のあたりで何かをまさぐっています。 不思議な快感が下半身を覆い、意識していないのにおちんちんが勃起してしまいました。 「気持ちいいの?」お姉さんの声、「なぜか気持ちいい。。。」、「前立腺って云うのよ。」

 快感に酔っているうちに、浣腸が効いてきたのか、「出ちゃうよ・・・」、「じゃ~、ここでしなさい。」と言われるままに用意されたオマルに排泄しました。

会話で興奮、そして〔回顧〕

 互いの身の上話しに、お互いが興奮しているのは明らかでした。 母親の様なお姉さんに積極的には行動できず、じっとしていると彼女が私に覆い被さって口づけをしてきました。

 やがてお姉さんの手が私の下半身を這い、ズボンの中に手が入ってきました。 パンツをはいていないので、お姉さんの手は直接私のおちんちんの辺りを弄る様になり、私の身体はピクリとしたのを覚えています。

 起き上がったお姉さんは、私のズボンを脱がせ下半身を裸にしました。 そして私を立たせると自分がソファに横になり、私を呼びました。 下半身裸の私はおちんちんを固くし、お姉さんが招くままに覆い被さり口づけをしました。
 「脱がせて!」と言うので、上半身をとると乳房が丸出しになり、私の手をお姉さんの乳房に誘いました。 掴んだり、揉んだりと母親の乳房を触る様に弄っていました。 「下も!」というのでズホンを取るとお姉さんは全裸となり、私も自分で上半身を脱いで全裸になりました。 そしてお姉さんは私の手を取り自分の陰部へ導きました。 私の指先を持って、
 「ここがクリトリスよ。そしてその下がオシッコが出るところ。。。。あ、あ~っ!」
お姉さんのその辺りは、かなり愛液で潤っていました。
 「そして、その下。。。。ここが膣で、ここにおちんちんを入れるの。」
と言いながら、私のおちんちんを掴みながら、自分の両足を上げ、私に恥部が丸見えになる様にしました。

 私は自分のおちんちんに手をあてがい、先端をお姉さんの膣口に圧しつけました。 お姉さんが私の腰を引き寄せたことで、おちんちんはお姉さんの膣の中に吸い込まれました。 ゆっくりとおちんちんを出し入れすると、「いい、いい、あ、あ~っ!」と私にとっては、初めて目の当たりにする女性の「善がり声」と反応に凄く興奮しました。
 お姉さんが反応すればするほど、私も高まって、「でちゃうよ~。」、「いいわよ。そのまま。。。だし。。あ、あ~。。だして。。」、「うん」、「一緒に逝こっ!」と私はお姉さんに抱き着いたまま、おちんちんが脈打ち、お姉さんは私の腰を引き付けてその感覚を受け止めてくれました。 「できたね。」と褒めてくれました。

相互レクチャー 私のこと〔回顧〕

 自分のことを話し終わったお姉さんは、私のおちんちんを普段着の上から触りながら、
  「貴方は、幾つぐらいから浣腸されてたの?」と聞かれました。
「判らないよ。。。。ウンチ出ないね。と言われながら浣腸されてたから。。。」
「浣腸されて、オマルに跨るのが当たり前のことの様に思ってた。」
  「へぇ~、そうなの。」
「よく熱を出して寝込んでたので、その時は、熱が下がるからって浣腸だった。」
  「そうよ。便が溜まってると熱が下がりにくいから、浣腸使うことあるわね。」
「やっぱりそうなんだね。」
「それに体温測るのもお尻だったよ。」
  「まぁ、その方が正確だけど、家で肛門計って珍しいわね。」
  「お店にも置いてるわよ。置いてても売れないから使ってもいいわよ。」
「えぇ~、大人になってからお尻で測るって恥ずかしいよ。」

「幼稚園に行ってるころには、浣腸ということに興味を持ったのは覚えてるよ。」
「その頃に脱腸になって大変だった。」
  「手術しなかったのね。脱腸帯使ってたって言ってたわね。」
「叔母のところに従妹が居てね。その子も僕の家で浣腸されてたことが何回かあったよ。」
「従妹と一緒に浣腸されたこともあったし、従妹も脱腸帯のこと知ってたんだ。」
  「へぇ~。」
「その子が僕んちに泊まった時、一緒に寝てて、脱腸帯見せてっているから。。。」
「寝床の中で触らせてあげたんだ。 その時、互いにアソコも触ったよ。」
  「あら!」
「子供なりに、自分と違うところが気になったんだと思うけど。」
  「それは、よく判るわ。」
「小学校へ行ってからも脱腸帯してたよ。」
  「不便だったでしょ?」
「身体検査と体操なんかで着替える時が嫌だったなぁ。」
  「お友達にバレちゃったんじゃないの?」
「最初の頃は、”脱腸”、”脱腸”って冷やかされたよ。」
・・・・・・・・・・・・・・・・
  「幾つぐらいで、脱腸は治ったの?」
「小学校2、3年のころから、お医者さんに脱腸帯しなくていいって言われたかなぁ。」
  「その後も浣腸はされてたの?」
「うん。。。。されてた。。。中学校行ってからもされたことあるよ。」
  「自分から頼んだの?」
「違うよ。嫌だって言わなかっただけだったけど。。。ちょっとだけ、されたかった。」
「小学校の高学年の頃に、勃起しているのが判って、射精さされちゃった。」
  「へぇ~、私が元旦那にしたのと同じね。恥ずかしかったでしょ?」
と、触っていた私のおちんちんをギュ~ッと握って、悲鳴を上げる私を笑っていました。

相互レクチャー 彼女の話し〔回顧〕

 東京の母親(薬局の女性)は私の子どもの頃のことに興味を持っていました。 同時に私も彼女が私と同様の浣腸嗜好になった理由を知りたいとおもいました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ケーキを食べ終わり、テーブルにはイチジク浣腸が置かれた状態で、互いの過去を話した。 コーヒーカップを口へ運びながら、口火を切ったのは私でした。
「浣腸を使う様になったのは、僕と同じで便秘が原因なの?」
  「そうよ。私も貴方と同じ様に子供のころは、浣腸されることが多かったわ。」
「へぇ~、やっぱり子供の頃に浣腸されると大人になって好きになるんだね。」
  「私はそれが原因じゃないわ。子供の頃は浣腸されるのが嫌だったんだ。」
「じゃ~、どうして?」
  「別れた旦那のお陰で好きになったんだと思うわ。」
「どういうこと?」
  「看護婦の仕事を初めてから、忙しいのと立ち仕事で便秘になることが多かったの。」
「看護婦さんは大変だよね。」
  「仕方がないから、よく自分で浣腸したわ。」
  「元の旦那は、実は働いていた病院の入院患者さんだったの。」
  「毎日じゃないけど、私の担当の患者さんで、ある時便かでなくて浣腸したの。」
「へぇ~。。。」
  「そうしたら、その患者さんたら、おちんちん勃起させてたの。 本人も判っていただろうけど、恥ずかしそうにしていたわ。」
  「昨夜の貴方もそうだったから、思い出しちゃったの。。。。」
「浣腸で勃起する人って結構いるのかなぁ。」
  「私、その人のこと気に入ってたので、個室だったし、射精させてあげたの。」
「看護婦さんって、そこまでしてあげるの?」
  「ちょっと好きだったから。。。」
  「そんなことが何度かあって、その人が退院してから、付き合って結婚したの。」
「へぇ~、ドラマの話しみたいだね。」
  「結婚してから、判ったんだけどその人浣腸が好きだったみたいで。。。」
  「私にも浣腸を強要する様になったの。そのうち私も浣腸で性的に。。。」
「・・・・・」
  「性的に興奮する様になって。。。」
「僕と同じなのかも。。。」
  「でも、夫婦でそんなこと続けてたら変になってしまうと思い始めたら耐えられなくなって別れたの。」
「・・・・・」
  「私と別れて暫くしてから、病気が再発して結局亡くなったわ。」

  「でも、私自身、浣腸のことが忘れられなくなってしまったみたいで。。。。」
「忘れられないって。。。?」
  「時々凄く浣腸が欲しくなって、自分で浣腸しては、自分で性的。。。」
  「性的な興奮を求めちゃうの。。。。」
  「昨日、貴方に浣腸してて色々思い出したら、凄く興奮しちゃったの。」
「それで、浣腸いれて~って言ったんだね。」
  「恥ずかしいから言わないで。。。」
「僕もそうかも。。。。オナニーしてしまうんでしょ?」

こんな会話で、私のおちんちんが勃起しているのを見て、普段着の上から触られてしまいました。

2018年3月29日木曜日

2泊目の薬局での夜〔回顧〕

 出張最終日、東京での仕事を終え、ケーキの土産を持ち帰った夜は、衝撃的な昨夜とは違って、和やかに過ごすことができました。 彼女(薬局の女性)も独り暮らしの寂しい夜とは違い笑顔で過ごすことができている様でした。

 ケーキを食べ、コーヒーを飲み寛ぎながら、昨夜のことを思い起こしていました。
「一昨日の夕方、浣腸を買いに来た時、どんな印象だったの?」と聞くと、
  「なんか凄く恥ずかしそうで、一刻も早く店を出たいという感じだったわ。」
「そらそうだよ。やっぱり浣腸買うって恥ずかしいよ。」
  「でも、女性と一緒に浣腸買って帰る男性も居るわよ。」
「へぇ~、恥ずかしくないのかなぁ。」
  「ホテルで女性と一緒に楽しむのかなぁ~。。。って想像しちゃうけど。。。」
「楽しむって? 何を?」
  「昨夜みたいによ!」
「・・・・・」

「お姉さんが浣腸入れて~って言った時は、ちょっと驚いたけどね。」
  「私。。。凄く興奮してて。。。今思い出すと恥ずかしいわ。私のこと軽蔑した?」
「そんなことないよ。軽蔑してたら、今ここに居ないよ。」
  「ありがとう。」と言いながら席を立ちました。

戻ってきたお姉さんの手に、イチジク浣腸が握られており、テーブルに置きました。 そして私に覆い被さって口づけをしてきました。 トレーナーの様な普段着の上から私の股間に触ってきました。 下着を着けていなのでダイレクトにその刺激を感じてしまいました。

私に身を預けながら、
  「昨日は初めてだったみたいだけど、今夜は色々教えてあげるね。」
「お母さんの性教育なんだね。」、 「そうよ。」
と彼女の性教育が始まることになりました。

2018年3月26日月曜日

『今日はウンチ出たの?』 〔回顧〕

 『今日はウンチでたの?』という言葉は、子供の頃から「耳にタコ」状態でした。 私の成長と共にその言葉の回数は徐々に減少し、社会人になってからは時たまと言った感じでした。

 東京出張で偶然私に訪れた幸運は、『今日はウンチ出たの?』と言う日常的だった言葉も連れてきました。

 出張の時はビジネスホテルに宿泊する必要がなくなり、幸運を齎した薬局に当たり前の様に滞在できる様になりました。 始めにうちはお互いの親密度が浅いこともあって、来客という感じでしたが、親しさが益すことで会話も家族の様になっていきました。

 出張初日の仕事が終わって薬局に行くと、顔を合わすなり、
   「いらっしゃい! 暫く振りね。どう?最近はちゃんとウンチ出てる?」
と聞かれ、薬局に滞在した日も仕事が終わって薬局に戻ると、
   「今日は朝トイレ行かなかったけど、お腹の調子はどう?」
と聞かれてました。

 自宅での母親に投げ掛けられていた言葉が、そのまま東京の地での再生です。 この言葉は一生私につきまとうのではないかと思えました。

 自宅での母親と大きく違ったのは、私のことを聞くだけでなく、その後、自分の情況報告がありました。 例えば、
   「今日は浣腸しなくても、いいウンチがでたの。だから調子いいのよ。」
   「昨日から全然でないの。。。。お腹張っちゃって。。。!」
などの言葉が続きます。

 「お腹張っちゃって。。。。」という言葉を聞いた時は、「浣腸されたいんだなぁ。。。」と解釈できる様になりました。 考えてみれば、私もお姉さんにそんな風に直接的でない表現をしていたのかも知れません。 いずれにせよ、浣腸やウンチという言葉が、挨拶言葉と同じ様に出現する身辺のアブノーマルさを意識せざるを得ません。

 しかし、ブログを書いている今は、誰からもそんな言葉を掛けられることもなく、寂しい限りです。

薬局からの通勤〔回顧〕

 東京のお母さんに見送られて薬局を出た出張最後の日、帰りがけにケーキを買って薬局に戻った。 「お帰りなさい!」の言葉に気恥ずかしさを感じながら、土産のケーキを渡すと、
 「わぁ~嬉しい!!食事の後で一緒に食べようね。」
と喜んでくれた。
 上着を脱ぎネクタイを外した。 「先にお風呂どう?」と言われ、そうすることにした。 出張用に持って着た下着の替えを準備していると、「そこに普段着用意してあるから着替えてね。パンツは履いたらダメよ。」、「うん。」と言いながら裸になって入浴した。

 風呂を出て用意された普段着を下着を着けずに身に着け居間へ行くと、食事が用意されていた。 「好き嫌いが判らないから適当に準備したけど、だいじょうぶかなぁ。」と言いながら食卓に料理を並べた。 「好き嫌いは殆どないよ。量は食べないけどね。」と話していると店に来客があった様子だった。 「は~い!」と言って応対にでた彼女は暫くして戻ってきた。 「若い女性で、風邪を引いた様で。。。ということで風邪薬と浣腸買って行かれましたよ。」、「へぇ~。」、「貴方だけじゃなくて、浣腸買う人結構居るのよ。殆ど女性だけどね。」、「男性は珍しいよね。」、「だけど病院に居た頃、便秘になる男性って結構居たわよ。貴方と同じ様に摘便してあげたこともあるし。」

 用意してくれた食事は、関西とは味付けが違ったが、和食で美味しかった。 「美味しかった。」と言うと、「口に合って良かったわ。これから来てくれた時は腕奮うね。」と喜んでいた。

 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

彼女が食事の後片付けをしている間、テレビを見ていた。 お笑い番組だったが、見ていても面白く感じないことが面白かった。 関東と関西では笑点が違うんだなぁと感心した。 やがて台所からコーヒーの香りが漂ってきた。
 ケーキとコーヒーをお盆に乗せ、テレビのテーブルに置いて、
 「美味しそうなケーキね。 どれ食べる?」
と言いながら私の横に座った。 彼女の背中に手を回し引き寄せると口づけをした。 長い口づけとなった。

2018年3月25日日曜日

こんな一日でした

≪2018年3月25日(日)晴れ≫

 今日はこのブログを整理しました。 だいぶ前のことが今日の出来事の様に蘇ってきます。 薬局の看護婦さんには、このブログには未だ書いていない色々なことを教えられました。 浣腸に纏わる恥ずかしいことをされたし、彼女も恥ずかしいことを求め一緒に楽しんだと思います。

 その頃は、感じることはありませんでしたが、母親と私の看護婦さんは同じ様な感覚だったんだろうなと思う。 どちらも私を可愛いペットの様に捉え、浣腸嗜好が相俟って、便秘治療と浣腸行為のターゲットであったのかも知れません。

 東京出張時の宿泊場所がビジネスホテルから「薬局」になったことで、出張ではなく自宅と同じ様な母子生活の様になった。 それが毎日ではなく、出張期間の僅かな時間だけだったので、仕事と秘密の嗜好が100%満たされる時間となりました。 出張を延長してレジャーも楽しみました。

 ただ、自宅での母親との生活と大きく違ったのは、東京の薬局では〔母親+妻or恋人〕という様な感じで、下着の着用についても彼女が決めていました。 このことは別の機会にブログにしたいと思います。

 今は年齢相応のストレスにまみれの生活ですが、当時のそんな生活は夢物語の様な生活が楽しく思い出されます。 今日もストレスが原因なのか、浣腸オナニーをしてしまった。

東京出張の宿泊は「薬局」 〔回顧〕

 繁華街片隅の薬局での想像を超えた経験の結果、彼女が居なかった私に歳の差20歳の恋人ができた。 いや、出張先での母親なのかもしれない。 誰が見ても母子の組み合わせであるが、浣腸が縁となって本音での気持ちが通い合っていた。

 東京に来る機会が多いことを知った私の看護婦さんは、「ホテルに泊まらず、これからはうちに泊まったらどう?」と言う。 「そんなことしていいの?」、「私は歓迎よ。一人暮らしは寂しいし、退屈だし、貴方の面倒をみてあげられると思うと楽しくなるわ。」というので、甘えることにした。

 今回の出張は明日仕事が終われば帰阪する予定であったが、明日もう一泊して明後日の土曜日に帰阪することとした。 それを聞いて彼女も喜んでくれた。 今夜から泊まる様に言うので、宿泊する筈であったビジネスホテルに戻り、荷物を纏め料金を精算した。 私にとっては夢の様な出張となった。

 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

 ホテルから撤収したバッグを持って薬局に戻ると、嬉しそうに出迎えてくれた。

 「お帰りなさい!」の言葉に戸惑いながら、上着を脱ぎネクタイを外した。 「お風呂沸いてますよ。どうですか?」と言われ、そうすることにした。 出張用に持って着た下着の替えを準備していると、「そこにあるバスローブに着替えてね。パンツはいらないよね。」と普段着なれない薄手のバスローブを用意してくれていたが、下着を着けない生活は慣れていた。 経験はないが新婚生活が始まった様な気分だった。

 風呂を出て下着を着けずにバスローブを羽織り居間へ行った。 お茶を入れ、和菓子を食べながら、慌ただしく過ぎた今日の出来事を二人で見つめ合った。

 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

今後はホテルの予約も不要になり、食事まで面倒みて貰うことも出来ないので、食後に1泊あたり8000円を気持ちに関係なく受け取って貰うことにした。 その方が私も気兼ねなくお邪魔できるし、愛情とは別の約束を交わした。 明日は帰阪するので、2泊分の1万6千円を彼女に渡した。
 「貰ったお金は貯金しておくね。 貯まったら一緒に旅行いきたいなぁ。」
と言っていた。

2018年3月24日土曜日

初めてのセックス〔回顧録〕

 冷たいものが塗られたお尻の穴に、看護婦さんの指が挿入された。 おちんちんがピクリとした。 看護婦さんは指をゆっくりと出し入れしながら、「気持ちいいんでしょ?」と聞かれ、黙って頷いた。 その言葉に気が緩んだのか、おちんちんが勃起してしまった。 「お尻の中の方に痛みはありますか?」、「いいえ、大丈夫です。。。。」と言いながら、声が漏れてしまった。

 指を抜くとイチジク浣腸の袋を破る音がして、黙ってイチジク浣腸が挿入された。 そして薬液が注入された。 「どう? 気持ちいい?」と言いながら勃起したおちんちんを優しく愛撫した。 イチジク浣腸を抜いて、おちんちんを刺激し続けた。 やがて、私の意思に反して白濁の液を放出してしまった。 精液を拭うと私にオムツを着けた。

 そして服を脱ぎ、下着姿で私の横に添い寝をする形で横たわった。 私に軽く口づけすると私の手を自分の乳房へ誘った。 「女性のおっぱいを触ったことは?」、「母のを。。。」、彼女は声を出して笑った。 柔らかく母親と同じ様なおっぱいの感触だった。 暫くおっぱいを弄っていると、今度は私の手を自分の股間へ誘った。 パンティの上から女性を触った。 「初めてなのね。」と言いながらパンティをずらし、女性の部分を出し私の手を取りながら陰部を這わせた。 ここがクリトリス、ここからオシッコが出て、ここが膣、そしてここがお尻の穴と教えてくれた。 私の指をクリトリスに宛がい、「ここを撫でてみて。。。」と言いながら卑猥な声を出し始めた。

 「ここが気持ちいいの?」と聞くと、「全部気持ちいいわ。あ、あ~!」と声をだし、私の指にローションをつけお尻の穴に持っていった。 指をお尻の穴に入れると、「あ、あ~。。。ダメ~」と声をだした。 「僕と同じ様に気持ちいいんですか?」、「私も同じよ。お尻は漏れそう?」、「漏れそうだけど、まだ大丈夫です。」、横にあったイチジク浣腸を私に渡した。 「浣腸するの?」、「うん、入れて~っ!」と自分でパンティを脱いだ彼女のお尻の穴に浣腸を差し込み注入した。 抜いた浣腸を横に置き、再び陰部を刺激した。 「あ、あ~、~~~、イイ~っ!」と声をあげ感じていたが、やがて立ち上がってトイレへ行き、音を出して排泄した。 私も限界が来て、オムツに漏らしてしまった。 トイレから戻ってきた彼女に、「漏らしちゃった。」と言うと、「いいわよ。ちゃんとしてあげる。」と言いながらオムツを開き、お尻を拭ってくれた。 食事前の浣腸でウンチは出てしまっており、オムツには少しのウンチと黄色いシミがついていた。

 私の服も全部脱がせ、自分も裸になった彼女は私のおちんちんを弄った。 再び勃起したおちんちんを握り締め、その上に跨った。 勃起したおちんちんを自分の秘部に入れた。 ヌルッとおちんちんは吸い込まれ、彼女はしばらくそのままでいた。

 やがて彼女は身体を上下させ、のけ反りながら歓喜したが、私にとっては初めての経験なので僅かな時間で再び彼女の中に射精してしまった。 射精を感じた彼女は私に覆い被さり口づけした。 「ごめんね。おばあちゃんで。。。」と言うので、彼女の顔を引き寄せ口づけした。 私にとっての初めての女性経験となった。

 オナニーでの射精と女性の中に射精することの感覚の違いを実感した。 自分と合体している女性が見ている前で淫らに反応することで自分自身も激しく興奮した。

無事すべて排泄して〔回顧〕

 お尻の穴を塞いでいたものがなくなりスッキリしたと感じていると、看護婦さんは私の排せつ物を始末し、汚れたところを拭ってくれた。 「まだ全部出てないから、もう一度浣腸しますね。」と言いながらガラス浣腸器に薬液を吸い上げた。 再度多量の浣腸液を注入し、浣腸器を抜くと再びガーゼでお尻を押さえた。

 「暫く自分で押さえててください。」と私の排泄したものを廃棄し、敷かれたシートの上にオマルを置いた。 「そろそろいいから、ここに出してください。」と言われ、オマルを跨いだ。 浣腸液に混じったウンチが排泄され、お腹の中に何もなくなった感じがした。 オマルの中を見て、「もう大丈夫ね。」と言いながら、私を浴室に連れて行き、湯を出してくれた。 「汚れてるから自分で綺麗にあらってください。」とタオルを置いて戻っていった。

 タオルで拭いながら、元の部屋に戻ると、全て片付けられていて、「どうですか。スッキリしましたか?」、「ありがとうございます。お陰で助かりました。」、「良かったわね。」、「昨日は苦しかったでしょ?」、「はい。どうしようかと思いました。」と言いながら服を着た。 「ここに戻ってきてくれて良かったわ。食事は済ませてるんですか?ウンチが出たらお腹が空いたんじゃないですか?」、「食事するどころではなかったので、まだ食べてないです。」、「丁度良かったわ。私も食事してないから、一緒に食べにいきませんか?」、「私はいいですけど。。。」、「一人暮らしですから、良く外食するんですよ。」と言いながら身支度をし、「何が食べたいですか?美味しいお寿司なら近くにありますよ。良く行くので。」と半分強引に私を連れ出した。

 歩きながら、「他の人にもこんな風にするんですか?」、「そんなことしないですよ。貴方が困ってる様だったし、昨日会った時から私好みだと思ったから。。。」、「そうなんですか。私は母と被って見えました。」、「あら、そうなの。お母さんに浣腸されてたんだもんね。」、「ええ。」、「お母さんのこと好きなの?」、「はい、好きです。」、「へぇ~、いいわね。」といいながら、すし屋の暖簾をくぐり、寿司を食べながら話題が続いた。 子供の頃のことを色々話した。

 店の支払いは看護婦さんがしてくれ、幸せな気持ちで店をでた。 「もう一度、寄って行かない? 注意しないといけないこととか色々教えてあげたいから。」と言われ、後は寝るだけだったので、看護婦さんに従った。 薬局に戻ると、「コーヒー飲みますか?」、「ええ、戴きます。」と答えると、台所からコーヒーの匂いが漂ってきた。

 コーヒーを飲みながら、話しは続いた。 聴いている人がいないので、会話の中身は大胆なものになった。 「浣腸で性的な興奮するんじゃないの?」と聞かれたときはドキッとしてしまった。 「大丈夫よ、病院でも浣腸したらおちんちん固くする人沢山いたから。」と笑っていた。 コーヒーを飲み終わると、彼女は先ほどの畳の部屋にマットの様なものを敷いて、「服を脱いで、ここに横になってください。 お尻の状態を確認しておきますから。」と言うので、看護婦さんの指示に従った。

 下着姿でマットに横になると、パンツを脱がされ両膝を抱える様に言われた。 再びお尻の穴を丸出しすると、冷たいものが塗られた。

母親でない女性の浣腸経験〔回顧〕

 こんな私でも、他の人々と同様、大学を卒業すると一般企業に就職できた。 営業ではなかったが外出が多い、時には出張もある仕事に就いた。 社会人になった私を常に気遣っていたのはやはり母親であった。 仕事が順調であるかというのは勿論であるが、私の身体のことが最大の気懸りだったと思える。 中学校ぐらいからは、虚弱という感覚を持つことは殆どなくなっていたが、便秘症は相変わらずであった。

 普通ではあり得ないと思うが、中学校時代でもそれまでと同じ様に、「ウンチはちゃんと出てるの?」と聞かれることもしばしばあり、「出てない。」と答えると、「浣腸してあげようか?」と言いながら、浣腸されることもあった。 そのことは、母親にとっても私にとっても違和感のないことであった。 そんな状況は、高校時代の半ばぐらいまで続いたと記憶している。 徐々に自分で浣腸することが多くなり、母親の言葉も、「浣腸したの?」と聞くようになった。

 大学時代になると旅行やクラブ活動などで外泊することも増え、荷物の中に必ずイチジク浣腸が幾つか入れてあった。

 社会人になっても母親の心配は変わらず、出張などになると、「浣腸持っていくのよ。」と念を押され、常備しているイチジク浣腸をカバンにいれた。 出張は東京方面が多く、場所が変わると便意が失せることがしばしばであった。 携帯した浣腸は、出張先でのオナニー目的で使うこともあった。

 急な出張でイチジク浣腸を荷物に入れるのを忘れたことがあった。 必要なら出張先で買えばよいと思い新幹線に飛び乗った。 出張2日目の朝、お腹の張りを感じたもののそのまま仕事先に向かったが、不安を感じホテルに戻る途中で浣腸を買おうとしたが、繁華街の薬局で買う勇気がでなかった。 あちこち歩き繁華街の外れに薬局の看板を見つけ、意を決して扉を開けた。 昔ながらの薬局という感じで、中には白い服を着た中年の女性が一人で店番をしていた。 恥ずかしい気持ちが先に立って「浣腸ください。」という言葉は出てこなかった。 「どうされました?」という薬局の女性の言葉に促され、「あのう。。。出張で東京に来てるのですが、便秘で困ってまして。。。」と中途半端なことを答えると、「それはお困りでしょうね。今まではどうされてたんですか?」と聞かれても浣腸とは言えず、「便秘薬を飲んだことはありますけど。。。」と事実とは違うことを答えてしまった。 それを聞いて薬局の女性は色々な薬を説明してくれた。 望む「浣腸」という言葉がなかったので、「早くスッキリしたいので。」と言うと、「じゃ~、浣腸されたらどうですか?使われたことはありますか?」と言いながら、見慣れたイチジク浣腸の箱がカウンターに置かれた。 「子供のころにはあります。使ってみます。」と答えた。 「少し温めると良く効きますよ。」と袋に入れてくれた。

 ホテルに戻り、早速浣腸を取出しオナニーも兼ねてお尻に注入した。 いつもの様に便意を感じながら、おちんちんを弄り射精した。 気だるさを感じながら便器に座ったが、薬液だけが排泄されウンチが出ない。 いつもと違う状況にもう一度イチジク浣腸を注入し十分我慢して排泄したが同じ結果となった。 そのころは摘便の知識はなかったので、どうして良いか判らなくなり、明日の朝に出るかと期待して入浴を済ませ就寝した。

 あくる朝も便器に座ったもののお尻に圧迫感があるだけで出なかった。 仕事もあったのでその日の仕事を早めに済ませ、昨日の薬局を訪れた。 昨日の白衣の女性が同じ様に店に居り目が合うと私を思い出した様だった。 「あら、どうされました? ちゃんと出ましたか?」と聞かれ、「それがぁ。。。薬液だけが出て肝心のものが。。。」と言うと「そうなんですか。それは困りましたね。便が硬くなってると浣腸しても出ないことがありますよ。ちょっと待ってください。」と店のカーテンを閉め、戸締りをした。

 「閉店ですか?」というと、「そうじゃないんですけど、お困りの様なので処置してあげようと思って。。。私は元々看護婦ですから安心してください。」と言ってくれた。 とは言え、どうなるのかと不安だったが、「ここには私しか居ないので気楽にしてください。そんな風になったらお医者さんへ行くしかないでしょ?」、「医者へ行った方がいいんですか?」、「いえいえ、だから私が処置してあげますよ。安心してください。」と言いながら何かを用意していた。

 準備をしながら、「貴方本当は良く便秘になるんじゃないですか? 男性は珍しいんですけどね。」と言われて、「はい。実は今までから浣腸使ってました。」、「やっぱりそうなんですね。昨日来られた時からそう思ってました。」、「バレちゃってたんですね。実は子供の頃から便秘症だった様で、母親に浣腸されてました。 それに小さいころに脱腸になって。」というと、「それで良く判ったわ。浣腸くださいと言いにくかったんですね。」と図星の指摘をされ、「はい。」と答えてしまった。

 店の奥の畳の部屋に通され、「時間は大丈夫ですか? ちゃんと処置してしまわないと自分では出せないですよ。」、「食事をしてホテルで寝るだけですから。。」、「そうですか。それならちゃんと処置できますね。」と用意したものを持ってきた。 私も知っているガラス浣腸器、オマル、それに容器にお湯、シートの様なもの。。。それを見て、目の前の女性が母親と重なった。

 「汚すといけないから、着てるものを脱いでください。」、「全部ですか。」、「はい全部ですよ。寒くないと思いますから裸でも大丈夫でしょ。」と言いながら、1m四方gらいのシートを広げた。 それを見ながら、仕方がないので服を脱ぎ、パンツだけになった。 「パンツもとってください。」と言われ、仕方なく全裸になった。 「お尻の下にシートが来るようにここに仰向けに寝てください。」と言われ、恥ずかしいところを隠すこともなく、仰向けに寝た。

 「固くなってるウンチを指で出してあげますからね。心配しなくていいですよ。」と言う。 お腹全体を押さえながら、「脱腸は今は大丈夫なんですか?」と聞く。 「大きくなってからはなってないです。」、「でも、便秘症だったら余りイキまない方がいいですね。押さえこんだだけなら、またなりますよ。」という。 「両膝を抱える様にしてください。」と言われ、そうするとお尻の穴が丸出しになった。

 「ちょっとお尻の穴が痛いかもしれないけど、我慢してくださいね。」と言いながら、お尻の下にシートの様なものを挿入し、お尻の穴に冷たいものが塗られた。 そして指が挿入されるとおちんちんが反応した。 「気持ちいいのかな。」と呟きながら、指を深くいれたので、快感は失せた。 挿入された指が中で激しく動き、掻きだそうとしている感じがした。 「我慢してくださいね。」と言いながら、痛みを感じるぐらい中で指が動きまわった。

 「少しは出せたけど、中でだいぶ崩したので後は浣腸しますね。」と母親にされたガラス浣腸器よりもかなり大きな浣腸器が容易された。 「沢山入れますから我慢してくださいね。」と薬液を多量に吸い上げ、ゆっくりと注入された。 浣腸器が抜かれると激しい便意があったが、お尻の穴がガーゼで押さえつけられ、何とか我慢できた。 股間からお尻を押さえながら、私の横に座り、「痛かったですか?」、「痛かったけど、大丈夫です。」と答えると、「結構浣腸経験はあるんでしょ?私も便秘症だから良く判るわ。」と話しかけてくる。 恥ずかしさが先に立って、顔を直視できなかった。 「脱腸はどうして直したの?」、「脱腸帯をつけてました。」、「治まって良かったわね。」、「はい。」、「ウンチでそうかな?」、「トイレへ行くのは無理かもしれません。」、「トイレへ行かなくていいわよ。」と言いながら、シートを股間に被せ、押さえている手をはなした。 その瞬間薬液が漏れたのでお尻を絞めて我慢した。 「そのまま出していいわよ。」と言われ恐々お尻の力を緩めると、固形物が混じった薬液を噴出した。 その様子に、「上手く行ったわ。」とにっこりと笑った。 私にとっては羞恥の極みの様な状態になったが、看護婦さんにとっては何ということもない様子だった。

2018年3月22日木曜日

私が浣腸を意識した幼少期 その3 〔回顧〕

 私が浣腸を単なる排便のための手段ではなく、子供なりに性的な意味合いで捉えた、意識したのは3つの出来事が絡んでいる。 既に書いた通り、1つ目の出来事は、幼稚園に通っている頃、鼠経ヘルニア(脱腸)を発症し、排便のために力むことを避けるために浣腸のお世話になったこと、常時脱腸帯を装着していたことでどうしても下半身に性的意識が集中していたことだと言える。

 2つ目の出来事は、母親自身が浣腸使っているのを見、自分も肛門に性的快感を感じ始めたことだった。 このことで浣腸が興奮の材料、快感の材料という意識を強く持ったと思う。

 この浣腸を快感を得る手段として捉える様になったことで、自分自身でも浣腸をしたいと思い、されることに被虐的快感を得る様になったと認識している。 思春期が近づくにつれ、性器への興味も増し、おちんちんを弄ること、浣腸すること、浣腸されることが秘密の行為となった。

 小学校も高学年になった頃、おちんちんを弄ることで強い快感を得る様になり、ある時浣腸をしておちんちんを弄っていると、「あ~っ!」という感じでおちんちんが脈打った。 同時に白いドロドロしたものが出てしまい、自分でどうしてよいか判らなくなった。 取り合えず浣腸していたので排便を済ませ、おちんちんを綺麗にした。 しかし、その時の快感は、それ以降の日常生活において忘れられないものとなった。

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 小学校の高学年になっても母親に浣腸されていた。 これは、私の問題だけでなく、母親にも浣腸嗜好があった故だと思う。 特に風邪などで臥せった時などは浣腸されることが多かった。 浣腸に解熱効果があることと、浣腸したいという母親の嗜好、私にされたい意識があって拒まなかったことでそうなっていたのだろう。

 小学校高学年は、成長段階としては思春期であり、上記の様に射精もあった。 風邪で臥せっていると母親が、「ウンチは出そう?」と聞いてきた。 横になっていると便意は感じにくいこともあって、「出そうにないよ。」と言うと決まって、「浣腸しとこうか。」と言いながら準備をした。 幼少の頃から、臥せっている時はオシッコは尿瓶、ウンチはオマルでの浣腸排泄だった。 臥せっているときは、布団の裾の方が捲られ下半身を裸にされて浣腸排泄だった。 浣腸されると思うとおちんちんが反応する様になったいた。 その時も下半身を裸にされた時おちんちんは大きくなっていた。 母親もそれに気づいていたと思う。

 「先にオシッコしなさい。」と言いながら、少し大きくなったおちんちんを尿瓶の口にいれた。 オシッコが終わると両膝を立てた股間からお尻の穴に軟膏が塗られ、ガラス浣腸器が差し込まれた。 浣腸液が少しだけ注入された段階で浣腸器が抜かれ、いつもとの違いを不思議に思っていると、おちんちんに母親の手の感触があった。 きっと勃起していたんだと思う。 おちんちんが優しく刺激され、暫くして射精してしまった。

 「スッキリしたでしょ?」と言いながら、残った浣腸が注入された。 恥ずかしかったことを覚えている。

2018年3月21日水曜日

私が浣腸を意識した幼少期 その2 〔回顧〕

 私の母親は大正生まれの古風な人であった。 その様な時代だったのかも知れないが、洋服を着るのは外出する時ぐらいで、普段は和装が主だった。
私が虚弱であり、母親の心配の種であったこともあるのだろうが、幼稚園へ行くまでは、四六時中母親にべったりくっついていた。 寝起きも、風呂に入るのも、母親が着替える時も傍に居たと思う。 従って母親の一挙手一投足を見ており、風呂や着替えの様子もしょっちゅう目にしていた。 和装が主であった母は、外見は普段の着物の上に当時当たり前の割烹着を着ていた。 何をするにもその様な姿が今でも目に焼き付いている。

 母を笑いものにする積りではないが、和装の中について少し話しておきたい。 大正から昭和初期を生きてきた母親にとっては時代背景から当然であるが、和服の中は、襦袢と腰巻きが当たり前で、今の様にパンツやパンティと言ったものは着けていなかった。 生理の時はT字帯といわれるものを股間に当て、出血を止めていた。 いつも傍にいた私は母親のそんなことを全て見ていた。

 話しが脱線するが、昭和7年12月16日に東京日本橋にあった白木屋というデパートで大火災が発生した。 死者14名、負傷者500名以上という悲惨な事件である。
必死の消火活動、救出活動にも拘らず多くの犠牲者を出した背景に百貨店女子従業員の服装の問題があったらしい。 和装中心の百貨店従業員は、私の母親同様、パンツという様な下着を着けておらず、はしご車やロープでの救出を躊躇し、焼死したり墜落死したと聞いている。 ビルの上の階よりの救出となるとどうしても着物の裾が開き下から陰部が見えたり、下半身が丸見えになるのではないかとの躊躇いである。 この事件以降、女性の下着が急速に普及といわれている。

 この様に母親の若いころは和装の中は腰巻き程度が普通であり、それに慣れていた母親は太平洋戦争後も慣れた服装でパンツなどを着けていないことしばしばだった。 小さいころは母親がトイレに入っても横に居たことがあり、着物をたくし上げ、そのまま放尿している姿も記憶にある。 いつも母親のトイレについていった訳ではないが、ある時、私が傍に居る時、和式便器にしゃがんで苦しそうにしていた。 そして、「たかおちゃんと同じ様に、お母さんもウンチでないの。」と呟いた。 そして股間を紙で拭くと立ち上がり、居間に戻った。 私の排泄の全てを面倒見ている母親にとって、自分の排泄を私が見ていることに大きな抵抗はなかったのだろうと思う。

 ウンチが出なかった母親は、私に「ちょっと待っててね。お母さんも浣腸するから。」と言って押し入れからイチジク浣腸を取り出し、私が居る横で座布団の上に仰向けに寝ると両膝を上げ股間から自分で浣腸を差し込んでいた。 私は自分と同じなので別に気にもしていなかったが、今になって思い返すと異常なことだと言える。 暫く我慢した母親は、「チョット待っててね。」と言ってトイレへ行った。 そんなことは1度ではなかった。

 頻繁ではないが、母親が自分で浣腸する姿は何度か目にしていた。 自分がされていることと同じことを自分でしている母親に違和感もなかった。 逆に、母親もウンチがでないことがあることが自分が特別なんじゃないとの安心感を与えた。 母親も自分も浣腸するんだということを見せることで、私に安心感を与える意図があったのかも知れない。

 ある時、見たことがある格好で座布団に仰向けに寝て両膝を立てている母がいた。 やはり浣腸をしていた。 しかしその後がいつもと違っていた。 イチジク浣腸を抜き横に置いて、手で股間を弄り、うっとりとした様子であったことを覚えている。 暫くすると立ち上がり、トイレへ行ったと思ったが、トイレから呻き声の様なものが聞こえた。

 今になって思えば、浣腸オナニーだったのだろうと想像する。 そんな様子を見たことで、母親にも強い浣腸嗜好があったんだろうと想像する。

 物心ついた頃から当たり前であった浣腸。。。。。自身が鼠径ヘルニアを経験することで浣腸に特別なことなんだと感情を抱き、また、自分自身の肛門に何か不思議な快感を感じる様になった。 そんな状況の中で、これまで気にしていなかった母親自身が浣腸を使う姿を見るに、徐々に浣腸に特別な感情を抱く様になっていったと言える。

 幼稚園の頃に発症した脱腸は、家の中だけでのことではなく、自分自身が家を離れて通園し、幼稚園の保母さんにも苦労を掛けることとなっていた。 脱腸は簡単に治るものでもなく、脱腸症状を抱えたまま小学校へ上がることになった。

私が浣腸を意識した幼少期 その1つづき「肛門性感」 〔回顧〕

 前述の様に、無意識のうちに肛門性感が目覚めていたのだろう。 布団に入ってから眠るまでの間、手が股間を触っていることが多かった。 おちんちんを触っているというより、無意識にお尻を触っていたと思う。

 今でも記憶にあるのは、私に使った浣腸を母親が捨て忘れ、部屋に残されていたのを取り置いたことがある。 母親が不在の時、薬液が入っていないイチジク浣腸を自分でお尻の穴に挿入してみたことを覚えている。 その時、浣腸をお尻の穴で出し入れすることでの気持ち良さを覚えた。

 それが切っ掛けで、家に買い置きされていたイチジク浣腸を自分で使ってみたこともあった。

 心理性的発達理論で「肛門期」という時期が2~4歳ごろにあるとされている。
フロイトによれば、この時期の小児性欲の中心は肛門である。 子供は排便を意識し、コントロールの方法を教えられ、適切なときと場所でトイレに行くという「トイレットトレーニング(排泄訓練)」が可能になる。 時期については諸説あるが、おおむね2歳から4歳頃までとされる。この時期の子供には自己中心的、情動的な傾向が強い。 そのため自分の欲求を即座に満たそうとする場合がままある。 何も教育しなければ、どこでもうんちをしてしまう子供であるが、排泄という肉体的反応を適切に行なえるようになることで、性格や自己規律に対して何らかの影響があるとされる。
 親は、この時期の子供に対して規則正しく衛生的に排便するように教育することが求められる。 そうした親からの働きかけが社会的圧力となり、「適切な排泄行為をしなければならない」という規律と、「母親の要望にこたえられた」という達成感や充実感を得る。 このような教育が子供に徐々に適切な排便を身に付けさせていく。
 子供は排便のタイミングを自分で判断するようになると、「自信」や「ものを諦める能力」や「我慢する能力」が発達し、自律のための重要な一歩を踏み出す。 ただし、この時期の肛門を自分の意思で自由にコントロールできる感覚をしっかりと身に付けなければ、子供のパーソナリティにさまざまな問題が生じる可能性があると言われる。
                           <Wikipediaより>

チャットで聞いた共感と驚きの話し つづき

 ご本人(息子)と母親は、コーヒーを飲みながら無言でテレビを見ていた。 暫くして母親が、「今日は出たの?」と子供のころの様な質問をした。 「出てないけど。。。」と息子が無造作に答えると、「じゃ~、浣腸してあげようね。」と息子を促した。 アラフォーを迎えた息子はどうしてよいか判らずに居ると、「ズボン脱ぎなさい。」と言われて立ち上がった。 ズボンを脱ぎ下半身パンツだけになると、「ここに四つん這いになって。。。」と言われ、ソファの上でパンツのまま四つん這いになって母親にお尻を向けた。

 子供の頃の様に、母親はパンツを脱がし剥き出しになった息子のお尻の穴に浣腸を差し込んだ。 母親は息子のおちんちんが勃起しているのに気づいていたのか、注入が終わるとティシュでお尻の穴を抑えながら、勃起したおちんちんを少し触った。 そして、「中学校の頃も、おちんちん立ってるのお母さん知ってたわよ。」と言われ、本人は赤面してしまった。 やがて「トイレ!」と言って母親から離れ、下半身裸のままトイレで排泄した。 排泄しながら、息子の頭の中は、母親にも浣腸したいと思っていた。

 下半身を剥き出しにし、おちんちんを手で握り隠した状態でトイレから出てきた息子に母親は、「お母さんにもしてくれる?」と言われ、再びおちんちんを勃起させた。 自分の妄想と現実が重なり、心臓がドキドキしたらしい。 母親の感覚は子供のころの息子を相手にしているのと変わっていないのだろう。 履いていたスラックスを脱ぎ、パンツだけになった。 決して女性のショーツといったものではなかったが、息子の心臓は経験したことのない鼓動を起こした。

 自分が下半身剥き出しであることを忘れ、残ったイチジク浣腸を手に取り袋を破った。 ソファに仰向きに寝た母親のパンツを下げると還暦を超えた女の秘部が見えた。 「こんな格好でいいの?」と言うと母親は両膝を抱え、お尻の穴を突き出した。 「お母さん、入れるよ。」と言いながら、イチジク浣腸を差し込み薬液を注入した。

 息子は浣腸を抜くと、堪らず母親の秘部を触った。 母親も勃起したおちんちんを手にした。 その後の成り行きは、読者の想像におまかせします。

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チャットでの会話で、聞いた話しが作り話しかどうかは判らないが、驚いたと同時に殆どの内容に共感した。 私は母親と近親相姦に至る様なことはなかったが、息子に浣腸することに快感を感じるということは、私の母親にもあったのではないかと改めて感じることが色々と思い出される。

チャットで聞いた共感と驚きの話し

 先日チャットで待機していると、アラフォーの男性が入室してこられました。 「ブログを書いておられる”たかお”さんですか?」と突然聞かれた。 男性なので躊躇ったが、「はい」と答え、挨拶を交わしチャットを進めた。

 その方に聞くと、実は自分も同じで幼少期に母親からしばしば浣腸された経験があり、今も浣腸に執着を持っているとの話しの始まりだった。 私も同胞の士の様な気がして、その方の話し共感の意を伝えた。 その方も、私と同様便秘になることが多かったらしい。 話しを聞くと私の様に体質的というより、場所が変わったり嫌なことがあったりするとそうなるらしく、話していても非常に優しい感じがする方だった。

 私も若干そんな面もあるが、アルフォーを迎えた今でも仕事でストレスが多いとか、出張などで環境や場所が変わると便秘になることがあり、自分で浣腸することが多いと話しておられた。 私も大人になってから、馴れていない場所での排便は、便意が生じにくいと共感の会話を交わしていた。 浣腸すると我慢しながらオナニーをしてしまうという内容についても、私も同じだと言葉を交わした。

 その方がお話しになりたいことは、今も自分で浣腸するということではなく、母親に浣腸されていた子供のころのことだった。 ウンチが出ないことで困って浣腸されたというより、母親から積極的に浣腸され違和感があったとの内容だった。 その方は、便秘になることが小学校時代を過ぎ、中学校へ上がってからも母親に浣腸して貰ったことがあると話しておられた。

 その方は、チャットで話していても内気な優しい方と感じた。 それが原因かどうかは判らないが現在も独身で母親と暮らしているらしいが、高校生ぐらいから母親に浣腸されることはなくなり、ウンチが出なかったら使いなさいと浣腸の買い置きがあり、使ったこともあると話しておられた。

 アラフォーになった今は自分で浣腸を買い、自分でしているが、ある時、母親と夕食しながら何故か子供のころの浣腸の話しになったらしい。 「まだ便秘になるの?」との母親の問いかけに、「出ない時もあるよ、浣腸することもあるけど。。。」と話したとか。

 子供の頃の母親の積極的な施浣の違和感が心に残っていたその方は、「中学校へ行ってからも浣腸して貰ったよね。」と言ってみたらしい。 母親はポロッと、「お母さんは貴方に浣腸するのが好きだった。。。」と言い、「・・・・」と返事に困ったものの、されたい気持ちが強く湧いてきたらしい。

 「良かったら、昔の様に浣腸してあげようか?」と母親の続く言葉に、「。。。。うん!」と頷いてしまったらしい。 「じゃ~、食事が終わったらね。お母さんも出ない時はするのよ。」と嬉しそうに自分のことを言ったとか。 そんな会話をしながら食事も終わり、母親は食事の後片付けをし、自分はテレビを見ていた。 アラフォーになった自分と、還暦を超えた母親、そして30年近く以前の浣腸のこと。。。。頭の中が混乱していた。

 後片付けが終わった母親は、コーヒーをテレビを見ている息子の前のテーブルに置いた。 そしてポケットからイチジク浣腸の箱を出し、テーブルに置いた。

私が浣腸を意識した幼少期 その1 〔回顧〕

 私の生い立ちの振り返って、治療のための浣腸ではない何か特別なものという意識を持ったことがある。 それは思春期に至るまでに3回あった。

 最初に浣腸を特別なものとして意識したのは、鼠径ヘルニア(脱腸)を発症した時だった。 それまでは、ウンチが硬くて出ない、だから浣腸して出すんだ。 それで自分もスッキリするという感覚でしかなかった。 私の健康のために母親は浣腸するんだと単純に理解していた。 しかし鼠径ヘルニアの発症に伴い、ウンチが出ないから浣腸するというのではなく、浣腸によってウンチを流し出すという感じに変化したことを記憶している。

 その為、子供用のイチジク浣腸やガラス浣腸器での少量のグリセリン浣腸だったものが使用するガラス浣腸器が大きなサイズに変わり、注入する薬液の量も多くなった。 ウンチが出ない時に便意を起こさせる程度だった浣腸が、薬液によってウンチを洗い流すといった状態に変化し、浣腸への意識が大きく変わり、日々特別なことをされているという認識を持った。 この頃から、浣腸という行為に強い興味を持ち始めていた。

 しかし、状況の変化や施される治療の変化だけで、浣腸に強い執着を持った訳ではないと思える。 人間本来肛門性感というものがあり、幼少期はそれが強いと聞いたことがあるが、肛門を弄られる機会が多かったことで無意識の心地良さを感じていたのではないかと思う。 その様な何とも表現のしようがない心地良さとそれを生み出しているのが浣腸ではないかという意識に目覚めたのではないかと思う。

子供の頃の脱腸帯〔回顧〕

 脱腸(鼠径ヘルニア)を発症した原因は定かではない。 便秘で排便時に気張ることが脱腸の原因なのか、その様な状態だったから便秘になっていたのかは私は知らない。 しかし無関係だったとは思えない。 それからはトイレで気張ることはできなかった。 即ち排便は浣腸で行う様になった。 多分2週間ほどは幼稚園を休んだと思う。 その間は自宅に居て2日に1回は浣腸となった。

 サポータの様なものは四六時中身に着けていた。 それを外すのは風呂に入るときと、浣腸して排便するときだけだった。 そんな状態が1週間ほど続いたある日、また連れられ採寸した場所に行った。 また下半身裸になり、変な器具が装着された。

 それが「脱腸帯」というものであった。 貞操帯の様に金属の芯が入った固いベルト状のものがあり、丁度おちんちんの右側に当る様にゴム球がついている。 そして、その貞操帯からゴムベルトが2本垂れている。 固いベルトを腰に巻き、ゴム球をおちんちんの右側に当てる。 丁度脱腸を発症している位置だ。 そしてその固いベルトがずれない様に、垂れたベルトを後ろからお尻の割れ目に沿っておちんちんの左右に持って来て、ベルトと固定する。 これで普通に身体を動かしても、貞操帯がずれない様になっていた。 試着し体形にあうことが確認された。

 予定通りのものが出来上がったので、医者でつけられてたサポータの様なものは取り、その「脱腸帯」を着け、交換用の同じ脱腸帯も貰って家に帰った。 歩いていても「脱腸帯」に違和感があり、蟹股歩きになっていたと思う。

 サポータはなくなったが、その代わりに脱腸帯をつけていることが日常になった。 サポーターと同じ様に、お風呂に入る時も浣腸してウンチをする時も身につけていた。

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 脱腸帯は幼稚園通園時は当然着用しており、卒園する時点でも治癒していなかった為、小学校入学以降も着用していた。 成長と共に身体の大きさに合わせて作り直す必要があったため、両親も大変だったと思う。
 通園の頃は、着替えるということは少なかったので、人目をきにすることは余りなかったが、小学校へ上がってからは、体操の時間、身体検査(健康診断)など服を脱ぎ着することがあり、秘密にしておくことができなかった。 体操の授業や身体検査の時には、特別扱いされたことで男女を関係なく同級生にしられてしまうことになる。

 小学校で、私の近所に住む同級生の女の子がいた。 日頃から親しくしていたが、小学校で私が脱腸であることを知り、強い興味を持っていた。 母親同士も近所付き合いがあった。

2018年3月20日火曜日

鼠径ヘルニアを発症〔回顧〕

 いつもの様に、ウンチが出ないと浣腸という状況に変化はなかった。 その日も、浣腸するために下半身は裸で寝かされた。 浣腸となる筈のところ、私のおちんちんやタマタマを触ったり持ち上げたりしていた。 やがて、浣腸せずに父親を呼びにいった。

 母と父は、私の股間を見て、医者に行く相談をしていた。 後でわかったが、それは「脱腸(鼠径ヘルニア)」を発症した瞬間だった。 私自身は、違和感はあったものの、これと言った自覚症状はなかった。

 「脱腸」というのは、内臓の腸の一部が、骨盤の間から下に下がり、おちんちんや陰嚢の辺りに迫り出してしまう症状で、その部分が膨れた様になる。 母親が発見したときは重症には至っていなかった様で、父親の指示で出ている部分を押し戻すと症状は回復した。 しかし、再発は明らかで放置できない。

 その日の浣腸は中止され、脱腸になった部分を中に納めることで、翌日医者に行くことになった。 そして、ウンチは出さないまま寝床についた。 何となく自分でも判ったので、その部分が気になった。

 寝るときもパンツはつけず、パジャマのズボンだけで寝た。 寝てからも気になる母親は布団を捲くり、パジャマを下ろしてその部分を確認していた。 私自身、何が起こっているのかは全く理解できていなかった。

 明くる日、早速医者に連れて行かれた。 どの様な医者に行ったのかは私にはわからないが、そこでの治療は比較的記憶に残っている。 診察や治療は、それまでに経験したことがないものだった。

 昨日の状態は、また発生していた。 私の場合、おちんちんの右横の部分に内臓の腸の一部が迫り出している感じになっており、自分でも判った。 ただ母親の発見が早かったことが幸いし、手術ではなく治療が可能だと判った。 多分親はその診断でほっとしたと思う。

 診察室で下半身裸になり、医師の診察を受けた。 脱腸を発症している部分の触診で概ねの判断があったのだろう。 早速の治療となり、診察台に寝かされた。 今になって思えば、産婦人科の診察台の様に、両足が固定され恥ずかしい部分を丸出しになった。 母親に浣腸されるのとは違い、気持ちの上では凄く恥ずかしく不安な状態だった。

 暫らくして診察と治療が始まった。 脱腸部分は丁寧に押し戻され、正常な状態になった。 それからは、以前に医者で排便治療された時とはじめのうちは似ていた。 お尻の穴に器具が挿入され、その内浣腸され、診察台に寝たまま排便した。 お尻の穴に冷たいものが塗られた。 そしてお尻にタンクから伸びた管が挿入され、「我慢するのよ」と看護婦さんに言われながら治療を受けた。 高圧浣腸、即ち「イルリガードル」による浣腸だった。 日頃の浣腸と比べ物にならない量の薬液がお尻の穴から注入され、非常に苦しくなった。 管が抜かれると一挙にそのまま排泄した。 2度ほどの高圧浣腸の後、お尻の穴に薬品が塗られた。 そしてお尻の穴からおちんちんなどが消毒液で洗浄され、おちんちんは出した形でサポーターの様な形で固定された。 その姿は、おちんちんを隠さないTバッグのパンツを履いた状態で、オシッコは出来るが、ウンチは出来ない状態になった。

 その日の治療は、それで終了し、母に連れられ自宅に戻った。 激しい運動、特に下半身に力をいれることは禁止されていたので、自宅で大人しくしていた。 次の日、また連れられて別のところへ行った。 医者ではなかったが、下半身裸にされ、腰の部分や股間の部分のサイズが測られた。 下着のパンツを特注する様な感じだった。

 後で判ったが、寸法を測った作成されたものは、「脱腸帯」と言われる、貞操帯の様な器具(補助具)であった。

浣腸の解熱効果〔回顧〕

 虚弱だった私は、しばしば風邪を引き熱を出して寝込んでいた。 そんな時は、食事も寝床で食べさせて貰い、お漏らししても良い様にオムツを当てられていた。 というのも、母親が買物などで出かけている間にオシッコを催した時の対策だった。 一人で起きてトイレに行って風邪が酷くならない様にとのことで、何度か寝たまま放尿したことを覚えている。

 熱が下がらない時は、母親が電話で医者の往診を頼んでいることが多かった。 熱を出して寝込んだ時、往診の医者にされることは概ね決まっていた。 往診してくれる医者は女性だった。 上半身を裸にされ、胸と背中に聴診器をあてられ、それが終わると仰向けに寝かされてお腹を色んな方向から抑えられた。

 印象的なのは、自宅での検温は脇の下に体温計を挟んで行われたが、医者の検温は何故かパンツを降ろされ、お尻の穴に体温計が差し込まれるのが常だった。 お尻の穴で検温しながら、「痩せ気味の人には肛門で検温する方が正確ですよ。」と母親に説明していた。 母親は、「じゃ~、買っておきます。」応対していた。 それが終わると決まって、「浣腸しましょうか、早く熱が引くと思いますよ。」と医者が話していた。 それを聞くと母親は新聞紙とオマル、それに濡れタオルを用意した。 検温でお尻を出したままの状態で布団が掛けられ、医者はカバンから金属ケースを取出し、浣腸の準備をした。 やがて再び布団が捲られると、お尻に家のものより大きいガラス浣腸器が差し込まれ、薬液が注入された。 浣腸器が抜かれると母親がお尻の穴を押さえていた。

 暫く我慢させられた後、布団の横に置かれたオマルを跨がされた。 そして勢い良く液体を排泄、続いて排便。。。。お尻を拭われてパジャマを着せられた。 仕上げはお尻か腕に注射であった。 これで「熱は引きますから。。。」と言い残し、道具の始末をした医者は立ち上がった。 帰り際、母親に「熱が引かない様だったら、明日にでももう一度浣腸してください。」と言い置いて帰って行った。

 何故かは知らないが、今の様に解熱の座薬などがない時代、浣腸は即効的な解熱剤だったらしい。 浣腸が効いたのか注射が効いたのは判らないが、夕方に熱は下がり、食事もできた。 寝込んだ時はいつもそうであったが、オムツを宛がわれその夜は良く寝ることができた。

小児便秘〔回顧〕

 私自身もオマルを利用していたことを覚えている。 ただ私の場合、他の子ども達とは違っていたらしい。 普通は便意と共にオマルに跨り、用を足すことになるが、私のオマルに跨り力んでも目的のものが出ないことが多かった。 そんなことが3,4日も続くとオマルから降ろされ、下半身裸のまま浣腸され、暫くお尻を紙で抑えられた後、再びオマルを跨いだ。 浣腸される前と違って、力まなくても勢いよく排泄が始まった。 最初は液体だけがほとばしり、暫くして硬い固形物が排泄された。 それを見て母親は、「偉いね。頑張ったね。」と励ましてくれるのが常だった。 物心ついた頃からそうであったので、自分では特別なことだと思っていなかった。

 「たかおは、ウンチが硬いから。。。」と呟いていた母をいつも思い出す。 そのことが大きな苦痛を伴うこともなく、浣腸されることでお腹はスッキリしていたので何の不自然さも感じることはなかった。 先が尖ったイチジク浣腸の姿は今も変わらない。 当時はキャップ式ではなく、先端部分に添付の釘で穴を開けて利用していた。 容器も柔らかい材質ではなく、注入時に押し潰すと潰れたままの形状で丸く復元はしなかった。

 しかし、私が浣腸をされている内に、イチジク浣腸も進化し、柔らかい復元する容器になり、先端もキャップ式に変化していった。

 家にはガラス浣腸器があった。 グリーンがかった色のガラスで出来ていた。 余裕のある時は、ガラス浣腸器が使われることもあった。 イチジク浣腸もガラス浣腸器もグリセリン浣腸であるからされる私にとっては余り変わることはなかった。

小学校高学年の頃、プールで溺れる!〔回顧〕

 虚弱だった私を、少しでも元気に遊び回れる子供にしようと両親が思いついたのが、当時まだ珍しかったスイミングスクールだった。 昨今の様に小学校でもプールが完備されているとのが当たり前の時代ではなく、当然、授業にもスイミングはなかった。 たまに学校から近くのプールへ団体で出向く程度だった。

 時代から考えて、両親の発想は斬新だったと思う。 しかし、当の本人にとっては試練以外の何ものでもなかった。 私にとっては「水」しかも大量に溜まった深みのある水は、恐怖である。 しかし、親切なインストラクターに促され水に入り、泳ぎの真似ごとをしていた。 ある程度慣れると、暑い夏に水に入るのは心地よかった。

 しかし、運動神経の鈍い私は、水に浮くという技が習得できない。 普通に泳げる人にとっては理解し難いことだと思うが、脚で底を蹴って身を横たえると石ころの様に沈んで行く。 隣にいる子供は浮いているのに、私は何故か時間の経過と共に徐々に沈んで行く。 インストラクターも笑っていた。 「身体の力を抜け!」と言う。 しかし、身体の力を抜こうとすると、そのために余計身体が緊張する様な気がして儘ならない。

 スイミングスクールがあったプールは、50m級の競泳用本格プールだった。 と言うかその様な公的な目的のプールぐらいしかない時代だった。 スイミングスクールは、その広大なプールの一角に底板を設置し、我々子供が立って胸あたりに水面が来るように工夫されていた。 問題はその底板が全面ではなく、ほんの一部分だけだったことにある。 それを知らない私は、泳ぐでもなく水中を彷徨い歩いている内に底板の端を踏み外していたらしい。

 不思議と太陽の光が差し込むのを見ながら、身体はプールの底に向かってゆっくりと沈み始めていた。 どうやら私が姿が見えないことに気付いてくれたインストラクターによって、私の身体は水面へと引き上げられた。 気づいてくれなかったら、今頃この様なブログを気楽に書いていることもなかったと思う。

 私にとっては、生死の境を彷徨った経験だった。 少々大袈裟かな?

2018年3月18日日曜日

虚弱体質だった筆者〔回顧〕

 筆者は、戦後間もない頃、関西の普通の家庭に生まれた。 何故か生まれつき虚弱だったらしい。 体格も細身で、屋外で戯れたり、無茶なことをする様な元気なタイプではなかった。 両親が若い頃の子供ではなかったので、活発な行動に自然と制約があったのかも知れない。 風邪をひき熱を出して寝込むことも多かったと記憶している。

 でも、5歳の年には幼稚園に通い始め、7歳の年には皆と同じように公立小学校に入学した。 幼稚園や学校でも普通に友達と生活はしていたが、他の子供達の様に駆け回り、元気に遊ぶということは、どちらかと言うと苦手で、大人しいと評された。

 そんな私だったが、先生や友達にも恵まれ楽しい幼稚園や学校での生活を送ることができた。 ただ、運動神経が鈍いというのか、体操や球技など他の子供達が当たり前にできることが苦手だった。 「奥手」とか「運動下手」と自覚することも多々あった。

 この様に、幼児のころから虚弱であったことが、私を浣腸と出合わせ、嗜好として定着させたと思う。 今でも心に残る浣腸に纏わる出来事をこのブログに綴りたいと思います。

 また、最近の行為や思いも併せて書いて行きます。 興味をお持ちの方や同じ様な嗜好をお持ちの方に愛読いただきたいと思いますし、男女に限らずメールやチャットでの交流を望んでいます。 宜しくお願いします。